この世には人になりすまし二枚の舌を持つ妖怪がいる。僕はその妖怪を「妖怪二枚舌」と呼んでいる。彼らはもともと人間だったのだが、過去に起きた辛い経験をあまりにも長く引きずったため、いつの間にか妖怪に化けてしまった。辛いことがあっても気持ちを強く持ち、気持ちを切り替え、ポジティブに生きていれば妖怪にならずに済んだのに。
彼らは自らを防衛するため、また自らを強く見せるため人に合わせて話す内容を変え、平気で嘘を付き気に入らない人を陥れる。彼らと出会って直ぐに「妖怪二枚舌」を見抜くことは難しいが、彼らをよく観察していると時間の経過とともに見分けがつく。
本来、企業の目的は良い商品や良いサービスを消費者に提供し、消費者がその価値を認めて満足してくれることにある。そしてその商品やサービスの対価として収益が生まれ、収益を社員や地域に還元し更に企業は成長していく。
企業の規模が小さく駆け出しのころはお客さんのために知恵を絞り、また外部の競合企業に目を向け社内の絆は非常に強い。しかし企業が急成長すると後戻りすることができなくなり、企業の目的が良い商品や良いサービスを提供することよりも収益重視の売上至上主義になってしまう。
また企業が急成長すると業務内容が一気に拡大するため多くの人員を確保しなければならず、積極的に中途採用を行い企業内は外人部隊のようになってしまう。以前から働いていた社員と新たに中途採用された社員では文化も考え方も異なるため社内で隔たりができ、血の巡りが悪くなってしまう。そして急成長した企業は社員の成長が企業の成長速度に追いつていないので、重要なポストに外部から招聘した人を配置することになる。当然、重要なポストは社内に及ぼす影響は大きく、与えられた権力も大きい。
もし、その重要なポストに外部から招聘された「妖怪二枚舌」が就任しまったら…。社内は派閥ができ、社員は疑心暗鬼になり大混乱してしまう。
企業も人も成長速度を追求せず、足元を固めながら確実に未来に向け歩くべきではないだろうか。そして経営者は十分に人を見る目を養い、社員の舌の枚数を数え「妖怪二枚舌」を見分けなければならない。周りを見渡すと二枚と言わず三枚も四枚も舌を持っている妖怪までいる。きゃーーー
「おい!鬼太郎!」
written by ベイダ―
東京に出掛けるたびに思うことだが、東京はとにかく人が多く、また全ての商品やサービスの価格が高いのでいつも驚いてしまう。マーケティングの視点から、関東エリア(キー局の放送エリア)には日本の3分の1の世帯が集中し、人口も多く人口密度も高いので、関東地区の不動産価格は上昇し、不動産価格が全ての商品やサービスの価格に転嫁され価格は上昇する。
また東京は公共交通機関がいつも混雑しているので、電車に乗ってなかなか座ることはできない。しかも路線も複雑なので住み慣れていないと、目的地まで時間が掛かってしまう。(今は路線や時刻表をネットで簡単に検索できるが…)
だから規模の小さな福岡で生まれ育った僕は東京で暮らすことは難しいだろう。
福岡は東京と比べると商品やサービスの価格は半値くらいで、店を探せばランチをワンコインで取れる飲食店は結構ある。夜も歓楽街の店に入らなければ、二人でお酒を飲んでも一万円出せばおつりがくる。しかも飲食店の前に行列ができることは稀で、基本的に飲食店に入店するために待つことはない。
また福岡では公共交通機関を利用する際、出退勤の時間を外せばほぼシートに座れるし、福岡の中心地から僕の自宅までタクシーで千円程度だ。道路も出退勤の時間を外せばそう混んでおらず、車の移動に苦痛を感じない。(福岡はバスが異常に多いのでバスの影響で混むことがある)また平日であれば福岡の中心地の駐車場は空いており、週末でも中心地から少し離れると駐車場に空きはある。飛行場へは福岡の中心地から地下鉄で約15分程度なのでアクセスは抜群だ。
唯一、僕は福岡で不満を感じるところがある。昼間に営業している酒場が東京と比べ圧倒的に少ないことだ。福岡の飲食店で昼間もビールを出してくれる店はあるが、腰を据えて酒を飲める酒場がない。
今週、東京に出掛け昼間に焼鳥屋の前を通ると、換気扇からは焼鳥を焼く煙がもくもくと出ており、店内は活気があり大きな笑い声が聞こえてくる。中を覗くと比較的年配の人が多いが、意外にスーツ姿の人も酒を飲んでいる。そして昼間から飲める酒場が軒を連ねているので羨ましい限りだ。酒飲み(アルコール依存症やアル中)は東京で暮らすことが楽しいかもしれない。
僕は福岡を代表するアルコール依存症なので、暇な日は福岡で昼飲みできる酒場を探しに出掛けてみるとするか。
written by 彦之丞
僕もそうだが、多くの人が知らず知らずに常に思考を巡らしている。そして思考することで仕事や自分の将来に不安を感じ、まだ訪れてもいない将来を悲観的に考えてしまうことがある。将来のことを悲観的に考えることは、思考が未来に出掛け不安な気持ちを増幅させ自らを惑わしている。そんな時は未来に出掛けている思考を今に呼び戻し、今現在を集中するため思考をコントロールする必要がある。
自分の思考をコントロールできない人(ほとんどの人がそうだ)は、思考が自分自身を惑わし攻撃し病気になってしまうことすらある。昔から言う言葉だが「病は気から」、先人はちゃんとこのことを理解していた。逆に思考を上手く使うと思考は人間の最高の道具になる。だから思考を本当の自分だと間違えて思い込んでしまうと、本来使われる道具が主人を使ってしまっていることになる。
常に思考を巡らせず客観的に思考を捉え、今、現在に意識を集中させることで不安などのネガティブな思考は消え、今の時間が有意義なものに変わる。しかし一日の生活の中で全てのことに意識を集中させることは難しい。
例えば歩いている時、多くの人はあれこれ考えながら歩いているが、歩いている動作をしっかり意識し風景を楽しんだりすることは簡単にはできない。また食事をするときも意識して食事をしている人は少なく、スマホやテレビを見ながら思考を巡らし食事を取っている。現代人は複数のことを同時に行っているので、何かひとつのことに集中することができず、そのため思考をコントロールすることができなくなっている。そして常に頭の中を思考が勝手に動き回り、そして思考が独り言を話している状態だ。
先週ブログで発表した今年の僕の基本方針は「力まず、我を通さず、そして長いものに巻かれる」(ゆるゆるの1年)。この方針は適当な一年にするのではなく、力を抜き思考をちゃんとコントロールしながら今現在を集中し楽しむことを指している。
多くの人が普段の生活で呼吸を意識することはないだろう。一日のうち一度くらいはしっかり意識して呼吸することは大切なことだ。
「すーはーはー」
written by チュグアナ