今週に入り冬将軍が福岡にも訪れ厳しい寒さになった。僕は自転車で通勤しており寒さで耳がちぎれそうだが寒さに耐えて通勤している。コロナウィルスの影響で最近自転車を利用する人も多く自転車も渋滞が起きておりひと昔前の中国のようだ。また食事をデリバリーする自転車も多く猛スピードで走って行くので、後ろも注意しながら自転車を運転しないと危うくぶつかりそうになってしまう。
コロナウィルスの流行は世界を大きく変え多く人が外出せずに自宅で全てのことをリモートで行えるようになった。自宅からあらゆる店のメニューを注文し、自転車で配達してもらうサービスが定着し配達する自転車を見かけない日は無い。また動画配信サービスも普及し映画館に行くことや動画を借りにレンタルショップに出掛けることも減った。さらにオンライン飲み会やオンラインでの打ち合わせも増え人とリアルに会うことも随分減った。
年末は移動制限などの自粛が叫ばれ、旅行や帰省する人も大幅に減少するようで、今まで当たり前だった暮らしや習慣が大きく変化している。
僕もコロナウィルスの影響で事務所でのデスクワークは随分減った。3月に出された緊急事態宣言から5月中旬まで完全に在宅勤務になり、その後も週に1度出勤になった。そのため事務所を借りることが必要なのだろうかと考え、巷で話題になっているバーチャルオフィスの見学に出掛けた。
バーチャルオフィスとは会社の登記をバーチャルオフィスに移し、その事務所に掛かって来た電話や届いた郵便を指定したスマホや場所に転送してもらうサービスで、事務所を持たずに完全在宅で仕事ができる。また必要に応じて部屋をレンタルすることもできるので大切な面談などはその都度、部屋を借りれば済む。
僕は福岡の中心地にあるバーチャルオフィスを見学し、そこのスタッフと話したがコロナウィルスの影響で問い合わせはや契約数は右肩上がりで伸びていると言う。
これからの時代は所有することではなく必要に応じて利用しシェアする時代が進み、自宅での時間を如何に快適に楽しく過ごすためのニーズが高まるだろう。時代の潮目は大きく変り、来年はこの流れが加速し新たなビジネスチャンスが生まれるだろう。
written by マックス
実家を売却するために9月から実家の片付けを始め10月末までには終わらせる計画だったが、今月に入っても一向に終わらない。実家は7LDKと大きく、しかも収納スペースも広かったので親父とお袋は物を捨てずに大切に取っていた。親父のスーツだけでも50着以上あり、結婚した頃から全てのスーツを取っていたとお袋は言う。また驚くことに親父とお袋の小学校の頃からの通信簿や働いていたころの給与明細、また貰った年賀状までしっかり取っていたので驚いてしまった。
片付けは処分する物と残す物、それに中古の買取り業者に持っていく物に分けた。お袋は家にある物を買取ってくれるのか疑心暗鬼だったが、僕が買取ってもらえそうな物を業者に持っていき換金したお金をお袋に渡すと、お袋は驚いて随分喜んだ。そしてお袋の心に火が付いた。
「へー、何でも買取ってくれるんやね~びっくりした」
「何でも買取るわけやないばい。中古でもニーズがある物やないと買取らんばい」
「そうね。この壷は売れんかね?欲しい人はおるよ」
「それはニーズがないやろ!」
「わからんばい。骨董屋さんに持って行ってみてくれんね?」
「それは骨董品やないやろ。ただの壷やんか!」
「持って行ってみらんとわからんやろ!」
「買取ってもらえそうなものは随分持って行ったけん、残っとる物は捨てるばい。車に積むのも一苦労やしガソリン代も掛かるとばい。家にある物を買取ってもらって換金することが目的やないやろ。全然、予定通り進まんやんか!」
「この、バカ息子!!」
こんな調子で僕が拒否するとお袋の口調は荒くなる。そのやり取りを聞いていた妹が仕方なく助け舟を出した。
「なら、私と一緒に買取り業者に持って行こうか?」
「ネットで写真付けて売ったら?」
僕が妹に言うと梱包やら発送に手間がかかると言う。
それ以降、お袋は買取ってもらえると思った物を妹と一緒に業者に持って行った。何度も何度も…。親父が集めていたネクタイにネクタイピン、食器、鍋、ぬいぐるみ、人形…。そしてお袋と妹は何度も肩を落とし、持って行った物を抱え戻って来た。しかしお袋は諦めずに妹と買取業者に出掛ける。
いつのまにか片付けが買取業者で換金することが目的になってしまった。
一体いつになったら実家は片付くのだろうか…。
written by モンコ
僕は大学に入学するとバイトと遊びに明け暮れ昼夜が逆転した生活を送った。大学3年生になると就職を考える時期になるが、僕は卒業後に起業しようと決めていたので、予行練習のために在学中に友人と商売を始めた。商売と言っても無店舗の中古車販売で、車の購入を考えている友人などから希望の車種を聞き、中古車のオークション会場で車を仕入れて販売していた。
オークション会場に入るには店舗を構え会場に入るための業者登録が必要だったが、僕等は無店舗販売だったので業者登録はできなかった。そこでオークション会場でバイトを始め、そこに出入りする中古車業者と仲良くなり、希望の車種と金額を伝えオークションで落札してもらった。今考えると商売と言うよりブローカーのようだった。
また地元の大学で配布されていた大学生向けのフリーペーパーで新車やドライブコースなどを紹介する連載のページを任せてもらい、毎月、原稿を書いた。しかも原稿料は貰えるし僕等の広告も無料で掲載してもらった。
大學4年生になり周りは就職活動を始めていたが、僕と友人は全く就職活動をしなかった。周りから卒業後の進路を訪ねられると、僕等は独立すると胸を張った。しかし大学4年の夏の終わりに一緒に独立するはずだった友人の親から彼の就職に対しての切実な想いが綴られた手紙をもらったことで、僕は友人に就職するように強く促した。友人は僕に背中を押され親のコネで直ぐに就職が決まった。
大学4年の冬、独立に拘っていた僕に友人は、一旦は就職し、社会勉強をした後に共に独立しようと説得された。彼は独立して成功するためには広告やマーケティングの知識が必要になるので、広告業界に就職するようアドバイスした。結局、僕は彼に説得により就職活動をすることに。きっと彼は自分だけが就職することに後ろめたい気持ちがあったのだろう。
卒業間近の1月、大学の就職課の職員から電話があり、卒業後の進路が決まってないのは君だけなので、今後の進路相談のため出校するように言われた。就職課に出向くと今年の就職活動は既に終わっているので、翌年の就職活動に参加するよう告げられたが、僕は今年就職する意思を伝えた。すると過去に卒業生が就職した就職先リストがあるので、希望先を探し連絡を取ってみると良いとアドバイスを受け、僕は福岡にある広告会社に片端から電話を掛けた。しかし今年卒業の採用は終わっており全ての会社から断られた。ただ1社、中途採用計画があると言うので、僕は熱くその試験を受けさせてほしいと伝えると、僕の熱意を感じた先方は試験を受けることを承諾してくれ僕は就職試験に挑んだ。そして僕は就職試験に合格し卒業する年に就職することができた。
就職した後、筆記テストはさっぱりだったが、面接で大逆転だったと配属された上司から聞かされた。卒業し就職したての頃は生活が昼夜逆転していたので、遅刻しないで出勤できるか毎日が不安だった。ちなみに僕は就職して何度も遅刻をしてしまった(笑)
「あれから30年!」
綾小路きみまろではないが、今では目覚ましを全くセットしなくても早朝から目が覚める年齢になってしまった。
written by 彦之丞