ひと昔前、給与は手渡しで支給されていたようで、随分とお金の重みを肌で感じていただろう。僕が社会人になった頃には給与は銀行振込だったので、給与が手渡しだった頃に比べるとお金の重みを肌で感じることはなかったが、まだ銀行で現金を引き出して使っていたので、お金のお重みを感じることができた。
今も一般的に給与は銀行口座に振込まれるが、お金のデジタル化が進んだことで電車、バスなどの移動の際はカードをかざすだけで料金を支払うことができる。またコンビニやスーパーでもスマホやカードをかざすだけで支払いが完了し、アマゾンなど通販を利用する際も多くがカード払いだ。そのためお金の重みを以前より感じなくなってしまった。そして近い将来、現物のお金を見ることすらなくなり、受取りと支払い時に数字が移動するだけでお金の重みを感じることは全く無くなってしまうだろう。
以前、銀行マンが事務所に尋ねてきて僕にありとあらゆる金融商品を勧め、さらに付き合いで借入をしてくれと頼んできた。その銀行マンは昔ながらの商売スタイルで「お付き合い」や「一先ずは実績を作って…」など時代錯誤の営業トークで僕は呆れてしまった。
借入の必要はなかったので僕は断ったが、銀行マンは熱心に訪ねて来て頭を下げるので、仕方なくその銀行の広告業務の受注を条件にバーターで借入を引き受けた。しかし彼らは約束を守ることは無かった。
これからお金の電子化が加速し金融業界にも大きな変化が起きる。これからは銀行でお金を引き出すことはなくなり、銀行口座に給与が振り込まれる必要もなくなる。代わりカード会社や携帯会社、それにキャッシュレス決済の会社が給与の振込口座になるかもしれない。彼らは多くの人のお金の置き場所で個人のお金の起点になるかもしれない。
「昔、銀行と言うところがあて、そこに紙に印刷されたお金を多くの人が預けていたんだよ。そして銀行を襲って大金を奪う怖い銀行強盗と言う悪い人がいたんだよ」
将来、子共に親が現物のお金を見せてこんな話をしているかもしれない。
「DIE WITH ZERO」この本のタイトルを直訳すると「ゼロで死ぬ」となる。この本は今まで読んだ本の中でもとりわけ印象深いものだった。
アリとキリギリスのイソップ童話を知らない人はいないだろう。夏の間、勤勉なアリは冬の食糧を蓄えるためにせっせと働く。一方、気楽なキリギリスは毎日自由に楽しく過ごす。やがて冬が到来する。冬のためにせっせと働いて準備をしてきたアリは生き残ることができたが、遊び惚けていたキリギリスは寒い冬に食べ物が無く飢え死にしてしまう。この物語はアリのように勤勉に働くことが大切だと教えてくれている。
ところでアリの結末はどうだったのだろうか。アリは短い一生をただ奴隷のように働き死んでいったのだろうか…。この本の前書きはこのような内容で始まる。
人は子供の頃から貯金をすることが大切だと教わり、社会に出るとその教えが身に付いており少しずつ貯金を始める。そして歳を重ねると老後が心配になり、さらに貯金に励み投資も始め老後に備える。やっと引退する年齢になり老後の楽しみに取っておいた夢を実現しようと考えるが、若い頃の様に体力はなく体も思うように動かない。さらに若い頃のような行動力や挑戦する気持ちはなくなり、結局、実現することはできない。その後、お金を使い切ることなく天国へ旅立ってしまう。
日本は70歳まで働くことを企業に責任義務とし、高齢になってからも働くことを推進しているが、70歳で引退してからでは実現できる夢は多くは残っていない。そうならないために高齢になるまでに働かずに済むよう若いうちから計画を立て、お金のための人生ではなく、体が元気なうちに多くのことを体験し充実感と満足感溢れる人生にするべきだろう。この本はイソップ物語に出てくるキリギリスやアリのような人生ではなく、キリギリスとアリの中間でバランスの良い素敵な人生を送ることを勧めている。
僕の周りに良い歳になっても金遣いが荒く夜な夜なはしご酒をして飲み歩いている連中もいる。彼らはキリギリスの一種なのだろうか。逆に良い歳になっても口癖のように「一生現役」と周りに仕事への情熱を熱く語り、現場で働くことに喜びを感じお金を貯め込むことが生き甲斐のような連中もいる。彼らはアリの一種なのだろうか。
お金が無くて飢え死にすることもお金のために生きて死ぬことも決して幸せとは言えない。たった一度の人生だから。
新型コロナウィルスの影響で経済は大きなダメージを受けているが、世界中で株価の上昇が続いている。各国の政府は新型コロナウィルスによる経済ダメージを抑えるため公的資金を注入し経済を下支えしており、そのことで市場には安心感が溢れ余裕資金が株式市場に流れ込んでいるようだ。
株価は1年先の経済を先取りすると言うが、現在の株高は果たして1年後の経済を見通しているのだろうか?株価と経済は本当に連動するのだろうか…。
新型コロナウィルスの影響で多くの方が在宅勤務により時間的に余裕が増え、また外出自粛により消費が減ったことで自由になるお金が多少増え、株式投資を始める人が増えているそうだ。そのため株価は押し上げられ証券会社は随分と業績が良いという。
「今、株を買えば必ず上がるよ」
「えっ、まだ株式投資してないの?」
「直ぐに証券会社に口座を作らなきゃ」
株式投資のリスクを理解せず、巷では今の株高に乗り遅れることへの不安が先行しており、バブル経済に沸いた平成初頭の頃によく似ている。当時は多くの人は株価が上がり過ぎているにもかかわらず株式投資を始め、多くの投資家が熱狂した。そして、ある日大きく膨れ上がったバブルは弾け多くの投資マネーは一瞬にして水泡に帰した。
「強気相場は悲観の中で生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、陶酔の中で消えていく」アメリカの投資家ジョン・テンプルトンはこう言い、スコットランドの作家チャールズマッケイは「人間は集団で狂乱に陥るが、理性を取り戻すときは一人ずつゆっくりだ」と言った。そしてビートたけしは日本人を「赤信号みんなで渡れば怖くない」と例えてギャグを言った。
世界的な株高はいつまで続くか誰にもわからないが、株式投資を一切口にしたことのなかった人が突然株式投資の話をするようになり、街中で株式投資の話が日常会話になった頃、バブルは弾けるだろう。
来月3月11日で東日本大震災からちょうど10年になる。大津波が多くの人を飲み込み多くの犠牲者を出したが、今年はバブルが弾け多くの方の資産が大きな波に飲み込まれてしまう恐れがある。
2021年は熱狂することより冷静さが大切だ。