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2021年03月26日

親父は長期で入院しており老いたお袋一人で生活することが難しいので、昨年の夏から一緒に暮らしている。お袋は年齢とともに足腰が弱くなり短い距離も歩くことが難しくなってきた。また最近は特に物忘れが多くなり、今話していたことさえ直ぐに忘れてしまう。お袋の生活を観察すると、朝はゆっくり起き朝食にバナナを食べ、その後は決まって病院に出掛ける。病院は整形外科、内科、歯科、耳鼻科、眼科と月曜から金曜までほぼ埋まっている。病院から戻るとパンとお菓子で適当な昼食を済ませ、その後はソファーに横になりテレビを見ながらウトウトと昼寝をする。夕食を食べ終わるとまたソファーに座りテレビを見ながら眠ってしまう。刺激のない毎日を送っているお袋に僕は何か新しいことを始めるように勧めた。
「お袋!病院に行った後はゴロゴロせんで、少し刺激のある生活せんとボケてもっと弱るばい!」
「もうボケとる!とにかく毎日、眠いとよ」
「俺は体が鈍ってきたけん4月からスポーツジムに通うように申し込んできたばい。お袋も春になったし4月から何か新しいことでも始めたら?」
「そうやね~…」

それから僕は毎日お袋に4月から新しいことにチャレンジするようにしつこく勧めた。するとついにお袋は重い腰を上げ、百貨店の文化教室で習い事を始めると言い出し、出掛けて行った。戻って来たお袋に何か良い教室があったか尋ねると、
「前から気になっとった教室に申し込んできた」
「ほー。そりゃ、良かった。何ば始めると?」
「歌ば習うことにした」
「歌を習うとね?どんな歌ね?」
「ゴスペルたい」
「…ゴスペル?…マジで?」
「そうたい。あーやって皆で手拍子しながら歌ったら楽しそうやろうが」
「…」
「練習の時に歌ば録音せんといかんけん、小さい録音機ば買わんといかん。電気屋に連れて行ってくれんね」

長く眠っていたお袋がついに目を覚ました。まさかお袋がゴスペルを始めるとは…。ひょっとすると体力もつき元気になるかもしれない。しかし毎日、家で大声を出して練習を始めると思うと恐ろしい。


2021年03月19日

アメリカで富裕層マーケティングの第一人者であるトマス・J・スタンリーは多くの億万長者を調査し、その結果を「となりの億万長者」という本にまとめ出版し、世界中でベストセラーになった。その本では社会に出たあとも親から援助を受けた子供は、親の世話にならずに自立している同世代、同所得層の人々よりはるかに少ない資産しか築いておらず、親が経済的援助を与えれば与えるほど子供は資産を蓄えることができないと言う。逆に親からの援助が少なければ少ないほど子供は資産を築くようになると記している。

社会に出てからも親からの援助を受けている子供は「忙しく仕事をしている」と決まって口にするが、親からの援助があるため自らを崖っぷちまで追い込んで必死に努力した経験がなく、人並みの努力で満足してしまう。さらにその子供が親になると、その親の子供は親の生き方を見て育っているので、当然、人並みの努力で満足する子供に育ってしまう。そしてその子供は「何とかなる」、「今は時代が悪い」など楽観的な考えや、外的要因から影響を受けていると口にする。このような子供はショック療法のようにインパクトのあることを経験しない限り自らの殻を打ち破ることは難しいだろう。

桜の開花が全国に少しずつ広がり今年も多くの若者が社会に巣立っていく。今は新型コロナウィルスの影響で就職活動も大きく様変わりし求人倍率も下がったことで、自分が望んでいた仕事に就くことができない学生も多いだろう。だからと言って悲観的にならず外的要因を責めずに、自ら人生を切り開く力を身に付けて欲しい。
仮に新型コロナウィルスの影響で就職浪人をすることになっても、親からの援助を受け入れるのではなく、自立して自分を向上させるために多くの知識を身に付け、色んな人と出会い情報やスキルを身に付けてほしい。いずれ新型コロナウィルスはワクチン接種により、そう遠くない時期に収束に向かう。その時のために今はしっかり準備をしておかなければならない。

全ての人に同じだけの数のチャンスが訪れるわけではないが、チャンスは全ての人に必ず訪れる。多くの人は目の前にチャンスが来たことすら気付かないが、チャンスが訪れたときそのチャンスにしっかり気付き掴めるようにならなければならない。
幸運の女神は動きが早く一瞬で目の前を通り過ぎてしまう。また幸運の女神は前髪が長く後ろ髪は短いと言う。幸運の女神を捕まえるためには幸運の女神が近づく前に準備し素早く捕まえないと、目の前を通り過ぎてからでは捕まえることはできないそうだ。


2021年03月12日

早いもので東日本大震災から10年が過ぎた。10年の節目にあたりテレビ局はどの局も当時の映像を使い特集を組んでいた。地震直後に発生した津波の映像は何度見ても驚きと恐怖を感じる。
「大きな津波が近づいています。今すぐ高台に避難して下さい!」
もし僕があの巨大地震に遭い津波警報を聞いたとき、果たして高台に逃げただろうか。今まで経験したことも記憶にもないことが発生した時に、人は即行動に移すことができるのだろうか。
「大津波?まさか?」
「こんな陸地まで津波が来るんやろうか?」
「10メートルの津波?それは大袈裟やろ!」
きっと僕はこう口にするだろう。

町の避難場所に指定されていた小学校の校長先生は津波警報が発令されたとき、校舎の屋上に子供たちを避難させず、直ちに子供たちを小学校から少し離れた高台に避難させた。その小学校は町から避難場所に指定されていたので、多くの町民が避難して来ていたが、子供たちを必死に避難誘導する先生や駆け足で非難する子供たちの姿を見て、町民も高台を目指した。
そして津波警報が出されてしばらくすると、津波は小学校に押し寄せ、あっという間に3階建ての校舎を飲み込んだ。高台に避難した先生と生徒、そして一緒に避難した町民は津波に飲み込まれることなく皆無事だった。
この校長先生は小さい頃から「津波の時は高台に逃げろ」と教えられており、小学校では日頃よりその高台への避難訓練を行っていたそうで、避難場所に指定されていた小学校であっても子供たちを校舎の屋上に避難させず、高台に避難させることを選んだ。たった一人の決断と行動が、子供たちと避難してきた町民の命を救った。もし校長先生が、3階建ての校舎の屋上に子供たちを避難させていたら…。

一人の正しい決断と行動が周りの多くの人に心理的なインパクトを与え集団行動に繋がる。逆に一人の間違った決断と間違った行動により間違った集団行動にも繋がる恐れがある。まさに紙一重だ。
いずれにしてもどちらを選択するのか、日頃の直観力やリスクへの意識、それにフットワークの軽い行動力が必要だ。そして歴史を学び歴史の教訓をしっかりと心に刻んでおかなければならない。


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