例年より早く福岡は梅雨明けし、僕の大嫌いな暑い夏がやって来た。これから2カ月も暑い日が続くと思うと憂鬱だ。
新型コロナウィルスの流行で昨年開催される予定だったオリンピックは1年延期され、いよいよ来週開幕する。オリンピック期間中、東京は新型コロナウィルスの再拡大で緊急事態宣言が発令され、オリンピック競技の殆どが無観客で行われるため盛り上がりは欠ける。そうまでしてオリンピックをやらなければならないのだろうか?新型コロナウィルスが収束してからでも良いのではないだろうか?
オリンピックは「平和の祭典」と言われるが、新型コロナウィルスの影響で飲食店や観光業は客が激減し火の車のような状態で、さらに職を失った人も多く果たしてこの時期が平和と言えるのだろうか?
オリンピックを運営するIOCや大手広告代理店などはボランティアで活動しているわけではなく利潤を追求し、コロナ禍の緊急時にオリンピックを強行することに多くの人が疑問を抱き、深い闇に包まれたオリンピックを多くの人が胡散臭いと思い始めた。
ひと昔前、テレビは手軽に情報を入手する手段で家庭の娯楽でもあった。しかし今はインターネットが普及し、家庭では個別にオンデマンドで動画やゲームを楽しむ時代だ。その時代に世界中をひとまとめに考え、テレビ放映によって利益を上げることは時代錯誤だ。しかも新型コロナウィルスが収束していない緊急事態宣言下で行われるのだから非難されても当然だろう。
また政府も国民の安全を真っ先に考えるのではなく、オリンピックありきで物事を考え、オリンピックを中止することなく開催へ突っ走ることは、先の大戦に突入する頃の日本政府によく似ており重なってしまう。先の大戦は政府が戦争を強く望み、そして世論も戦争へと傾倒していった。
これからの時代はオリンピックの運営のように閉ざされたものではなく、全てがオープンで開かれたものでなければならない。また多様性を理解し全てを大きな集団で考えず、小さい集団や個人を理解した考え方が必要だ。
一体、人口減少が加速する日本で膨大な税金を投入し建設されたオリンピック施設は、これからどう利用していくのだろうか。そして全てが負の遺産になってしまうと誰が責任を取るのだろうか…。
2年前の7月9日、午前3時半に愛犬Q太郎は天国へと旅立った。その日の朝、僕はQ太郎がかかりつけだった動物病院に連絡し、Q太郎が死んだこと、それに今までのお礼を先生に伝えた。そして動物病院の先生に紹介してもらったペット霊園に電話を入れた。僕は死んだQ太郎の傍に少しでも長くいたたかったので遺体が腐敗しない日数を尋ねた。夏場だと発泡スチロールのケースに保冷剤を敷きその上に遺体を安置すると、3日は大丈夫と言うことだったので3日後に火葬の予約を入れた。それから3日間、僕は死んだQ太郎の横で過ごした。火葬の日、Q太郎が大好きだったペット用のキャリーケースに花を敷き詰め、その上にQ太郎を寝かせ火葬してもらった。
Q太郎は毎日のように僕と同じベッドで眠り僕の隣で食事を取り寝食を共にしていたので、僕はペットロスで心が重い毎日を過ごした。そんなある日、「僕のワンダフル・ライフ」という映画を観た。その映画は犬と飼い主の強い絆を描いたもので、主人公の子犬が死にかけたところをある少年に救われ、その少年に飼われることになる。飼い主の少年と子犬はいつも一緒に過ごしお互い成長するが、犬の寿命は人間より短く、やがてその犬は大人へと成長した飼い主に看取られ死んでしまう。しかしその犬は命を助けてくれた命の恩人である飼い主に会いたい一心で何度も転生を繰り返し、遂に初老になった飼い主に別の犬に生まれ変わり再会を果たす。
その映画を観て、僕は毎日のようにネットで犬の里親を探すサイトやブリーダー直販のサイトを閲覧し、Q太郎の生まれ変わりの子犬がいないか探した。僕が探していた犬はQ太郎が死んだ7月9日以降に生まれのQ太郎と同じミニチュアダックスだった。
そして8月下旬、僕はあるブリーダーのサイトに掲載されたミニチュアダックスの写真を見つけた。その犬は7月30日に生まれのブラック・タンのミニチュアダックスの子犬で、その子犬の写真の後ろには犬のおもちゃのぬいぐるみが映っていた。その犬のおもちゃのぬいぐるみは、僕が以前Q太郎に買ってあげたものと同じものだったので、Q太郎の生まれ変わりかもしれないと思いブリーダーに連絡を取った。そして僕はその子犬がいる兵庫まで出掛けた。
今、その子犬はQ次郎と名付けられ僕と寝食を共にしている。Q次郎はQ太郎とよく似ており元気で明るい性格だ。Q太郎の命日である今日、Q次郎と一緒に自宅にあるQ太郎の骨壺に手を合わせた。
Q次郎は僕の顔を見上げ首を傾げた。
7月に入いると近所の大木から蝉が鳴き始め、いよいよ夏の訪れを感じさせる。あと2週間もすると、梅雨が明け暑い日が続くと思うとゾッとする。しかし今は在宅勤務なので以前より涼しく過ごせそうだ。
最近では厳しい言葉を使うと直ぐに「パワハラ」と騒がれる。「パワハラ」とは組織の中の地位や人間関係などの優位性を利用し、相手に不快感や苦痛を与えることだが、僕の若い頃は世の中に「パワハラ」が溢れていた。
会社の会議に出ると上司はいつも大声で怒鳴り根性論を話す。会社の飲み会に参加することは絶対で、飲み会を欠席すると、翌日、上司から嫌な顔をされた。また飲み会ではイッキ飲みは当たり前で、上司の横に座りグラスを差し出し上司が注いだ酒をイッキに飲み干す。今の時代、上司が部下にイッキ飲みを強要すれば、周りは「パワハラ」と直ぐに騒ぎ、厳しい目が向けられるだろう。
しかし「パワハラ」が当り前だった頃、今と比べると良いところもあった。当時は努力が報われる時代で、義理や人情がしっかり機能しており営業で得意先に足蹴に通うと仕事を貰うことが多かった。それに得意先は貸し借りを大切にしていたので、借りがあればちゃんとその借りを仕事で返してくれた。また得意先や上司に中元、歳暮を贈ることは当たり前で、中元、歳暮を贈った先からは丁寧な礼状を頂いた。今は中元、歳暮を贈っても礼のひとつも言ってこない人も多い。
今の時代はドライで義理人情は社会から消え、貸し借りなどは口先だけで感謝の気持ちは微塵も感じられない。そして世話になった人に中元、歳暮を送る習慣も無くなった。
昨年から新型コロナウィルスの影響でオンラインでの打ち合わせが増えたが、最近では面識のない人からオンライン上での面談を希望する旨のメールがやたらと送られてくる。僕は全て無視しているが、何とも簡単な時代になったと思ってしまう。
新型コロナウィルスはドライで合理的、そして簡単な時代へと加速させているが、ひと昔前の習慣や人間味が今の時代にも引き継がれ、今の時代と調和していても良いのではないかと感じてしまう。
毎年、夏になると炎天下の中、スーツを着て汗だくになり得意先に足蹴に通っていた頃を想い出す。あの頃の暑さが僕を夏嫌いにさせたのだろうか…。