2年前に親父は肺炎をこじらせ救急病院に搬送され生死を彷徨った。その後、肺炎は治まったが嚥下障害で口から食事を取ることができず、今も入院し鼻から経管栄養を取り生きながらえている。親父が入院しお袋は一人で暮らしていたが、転ぶことも増え買物に出掛けることも困難になってきたので、今は僕と一緒に暮らしている。
毎日、高齢のお袋を見ていると、日常生活が徐々に難しくなっているようだ。まず高齢になると全ての動作が遅くなり、歩くことはもちろん椅子に座ることも立ち上がることも時間が掛ってしまう。車の乗り降りに時間が掛り、トイレから出てくるにも時間が掛ってしまう。それに物忘れが酷く過去に起きたインパクトのある出来事はしっかり覚えているが、最近の出来事などはあまり覚えていない。そのためお袋は自分のスケジュールを管理できず、病院を予約した日も分からなくなるので、お袋専用のカレンダーにスケジュールを書いて僕が管理している。
またお袋の会話はやたらと“あれ”、“それ”、“あの”などの言葉が増え会話の意味が分からないこともしばしば。
「“あれ”は“それ”やろ~」
「“あれ”ちゃ何ね?“それ”ちゃ何ね?」
僕がお袋に聞き返すと、
「会話の流れでわからんかね~。あんたもピンとこん人やね~」
「そげな会話わかるわけないやろ?“あれ”やら“これ”やら言われたっちゃ。ちゃんと会話ばせんね!」
「わからんならもうよか!」
こんな風に連想することが難しい連想ゲームのような会話が増えた。
そして全てのことが億劫のようで寝ていることが増え、食事も簡単に済ませてしまう。朝はゆっくり起き朝食は決まってバナナを1本食べ、昼食は好物のメロンパンなどの菓子パンが済ませてしまう。お袋にバナナがそんなに好きだったか尋ねると、
「別に好きやないばってん、バナナは簡単で食べやすかろ~が」
高齢になると全ての動作に時間が掛り、忘れたことを思い出すためにも時間が掛る。そして寝る時間は増え、あっという間に1日が過ぎてしまうようだ。僕も高齢になるとお袋のようになるのかと思うと怖くなってしまう。
今年も百貨店で来年のおせち料理の予約販売が始まった。昨年は12月中旬に予約に出掛けたが、豊富にあったおせち料理は既に売れ、ひとつだけ残っていたものを滑り込みで注文することができた。今年は種類が豊富なうちに早速予約に出掛けた。
おせち料理を百貨店で注文するようになって10年ほどになる。以前は自宅でおせち料理を作っていたが、年末年始をゆっくりと過ごし美味しいおせち料理を食べたいということになり、注文するようになった。百貨店では配送料を支払うと大晦日におせち料理を自宅に届けてくれるのでとても便利だ。
ところでおせち料理を漢字で書くと「御節料理」と書く。本来は「御節供」(おせちく)と呼ばれ正月だけの料理ではなく、元旦や五節句など季節の変わり目の節日を祝う料理で、神様にお供えした後に頂いていた。江戸時代になるとこの慣わしが一般庶民に広がり、一年の最初の節日である正月に振る舞われる料理を「おせち料理」と呼ぶようになった。当時はその地域で取れた食材を利用しおせち料理を作っていたが、暮らしや食文化が豊かになるにつれ現在のような料理に変化したそうだ。
またおせち料理は正月三が日はかまどの神様に休んでもらうことと、毎日台所に立つ主婦を家事から解放させ労うために保存の効く料理が多い。(普段から何もせずボ~っと暮らしている主婦は正月くらい料理しても良さそうだが…)
そしておせち料理は「めでたさを重ねる」と言う意味で重箱に詰められ、それぞれのお重は素材や料理に込める想いで内容が異なり5段重ねだったが、今では核家族化も進み重箱の数にはこだわらなくなった。
百貨店のおせち料理のカタログを見ていると、おせち料理は和食だけでなく中華やフレンチそれにイタリアンなど様々なおせちが並び、本来のおせち料理から随分かけ離れたものも多い。驚いたことにフレンチのおせち料理にはカレーやビーフシチューそれにケーキなども詰められているものまであった。毎年、年末年始はフライドチキンのCMを見るが、「○○〇のお重」と呼ばれ販売されており、今ではフライドチキンもおせち料理に加わっている。フライドチキンを神様にお供えすると、神様は一体どう思うのだろう…。意外にも異国の料理なので大喜びするかもしれない。
殺人、自殺、孤独死などの経歴のある不動産物件を最近では「事故物件」と呼ぶが、不動産業界では「心理的瑕疵(かし)物件」と呼ぶそうだ。瑕疵とは聞きなれない言葉だが“欠陥”と言う意味で、「物理的瑕疵物件」とは雨漏りやシロアリなどによる害虫被害、耐震性能の不足など建物の物理的な問題を指し、「心理的瑕疵物件」とは過去に殺人や自殺、孤独死などがあった物件を指す。こうした情報は買主や借主にとっては契約の判断になる重要事項で、売主や貸主はその事実を告知する義務があり、宅地建物取引業法にしっかりと定められている。
今では「事故物件」をネットで簡単に検索でき、全国の「事故物件」をマップで探すこともできる。僕も引越しをする前にそのサイトを覗いたことがあるが、「事故物件」は日本の津々浦々に存在している。そして新型コロナウィルスの感染により孤独死が増えたことで「事故物件」は増加し、不動産取引価格に影響を与えているそうだ。孤独死で1割、自殺で3割、殺人事件だと5割も値が下がると言う。
昔、僕が暮らしていた家の隣で殺人事件が起きた。隣は4人家族で夫婦と僕と齢の変わらない二人の子供が暮らし、僕はその家族とごく普通に接していた。
事件は早春の夕方、2人の子供が外出し留守中に起きた。夫婦喧嘩の末、主人が奥さんを金属バットで数回殴り、包丁で刺す残虐な事件だったが、もし子供が自宅にいれば殺人事件まで発展しなかったのかもしれない。
僕は殺人事件のほぼ同時刻に外出先から帰宅し自宅の玄関のドアを開けたようとした瞬間、背後に殺気のような不気味さを感じた。振り返ると、塀の向こうに隣の主人が恐ろしい形相で僕を睨んでいたので、僕は怖くなりペコリと挨拶して直ぐ自宅の中に入った。後に警察から聞いた話だが、僕が自宅に帰宅した直前に主人は奥さんを殺害したそうだ。
その事件から数年間は子供2人でその家で暮らしていたが、いつの間にかその家は取り壊され平地にされ売りに出されたが、「事故物件」だったので長い間売れなかった。そして事件から20年ほど経ちその土地は売れ家が建った。今では何もなかったかのように、ある家族が普通に暮らしている。
「事故物件」と言う言葉は映画にもなったことで広く使われるようになり、多くの人がこの言葉に敏感に反応する。しかし日本の国土は狭く過去には戦争や戦などが何度も起きており、今でも日本中の至るところで遺骨が眠っているのかもしれない。そう考えると「事故物件」にあまり敏感に反応する必要はないのかもしれない。