高齢の親父は寝たきりで入院しており、お袋も高齢のため一人で生活することが困難になり今は僕と一緒に暮らしている。そのため数年前から実家は空家になっていた。
実家の土地は僕が生まれる前にお袋の母である僕の祖母が苦労して購入した土地で、祖母が高齢になったことを受け、両親が祖母の家を新しく建て替え祖母と一緒に2世帯で暮らしていた。その後、祖母が亡くなるとお袋が土地を相続し実家はお袋の所有になった。
数年前から空家になっている実家をどうするのかお袋と相談していたが、今後、人口減少が進む日本ではさらに空家が増え、経済も縮小していく恐れがあるので実家を売却することにした。実家を3か月かけて整理し、昨年の2月に得意先の不動産会社を介して実家の売却を進めた。そして今週、購入希望者に実家を引き渡すことになったが、いざ実家を売却するとなると、祖母が苦労して購入した土地と親が苦労して建てた家を売ることにどこか寂しさを感じた。
引渡日の前日、雨の中をお袋と住み慣れた実家にお礼と別れを伝えるため出掛けた。実家の庭は雑草が伸びていたが、祖母の植えたたくさんの木々は鮮やかな緑の葉を纏い雨の雫で輝いていた。実家に入ると、当時の思い出が蘇って来る。両親と喧嘩したことや腹を抱えて家族で大笑いしたこと、僕が飼っていた愛犬のこと、そして僕をとにかく可愛がってくれた祖母のこと…。
実家の全ての部屋を回り玄関の鍵を閉めると、ふと親父のことを思い出した。僕が若い頃、真夜中に大きな交通事故を起こし、警察からの連絡で僕の事故を知った親父は心配して外灯の付いた玄関で明け方まで待っていてくれたことがあった。
実家を出てその足で祖母の眠るお寺に出掛け、祖母に実家を売却したことを報告し手を合わせた。
実家の売却が終わりお袋に売却して後悔が無いのか尋ねると、お袋はこう言った。
「土地やら家とか天国に持って行けんしね~」
「ばってん婆ちゃんが苦労して買った土地やし、親父とお袋が頑張って建てた家やけん愛着もあったやろう。寂しくないね?」
「歳を取ると愛着やら無くなったね。私が死ぬ前に処分出来てすっきりしたよ」
お袋の言葉は果たして本音だったのだろうか…。
長い間、住み慣れた思い出の詰まった家の売却は何とも切ないものだ。
以前、公園の広い芝生のグラウンドでリードを付けずに愛犬Q次郎と遊んでいると、自転車に乗った公園の管理人が近づいて来て注意された。
「犬にはリードを付けて下さい!」
「すみません…」
数日後、またその公園でQ次郎のリードを付けずに遊んでいると、また管理人に見つかり再び注意された。
「以前も注意しましたよね。そこの看板に書いてあるでしょ。犬種、サイズに関わらず放し飼いにすることを禁止しますと!」
「すみません…」
その後もリードを付けずにQ次郎と遊んでいたが、管理人に見つかり注意されることもしばしば。当時、Q次郎が付けていたリードは自動巻きの長さ5メートルのリードで、ボールを思い切り投げてボールを遊ぶことができず、公園の人のいない場所でリードを外し遊んでいたが、福岡市の公園のルールは厳しく僕は放し飼いの常習犯として公園の管理人にマークされるようになった。
そこで僕はアマゾンで「犬 ロング リード」と商品を検索してみると、何と長さ20メートルの長いリードを見つけた。そのリードは大型犬でも付けられる丈夫なリードで、しかも絡まりにくいうえ水に浮く軽量素材で作られており海や川でも遊ぶことのできる「無敵のロングリード」だ。
注文して数日するとそのリードが自宅に届いた。商品を取り出すと、中から直径1センチほどある赤い丈夫なリード(ロープ??)が出てきた。このリードだとドーベルマンやセントバーナードに付けてもまず切れることはないだろう。飼い主は引きずられことになるかもしれないが…。
僕は早速、Q次郎を公園に連れて行き、「無敵のロングリード」をQ次郎に付けボールを投げて遊んだ。僕とQ次郎が満足して遊んでいると、遠くで自転車に乗った公園の管理人が見張っており、遠くからリードが見えなかったのか、怪訝な面持ちで僕に近寄って来た。そしてリードをしていることに気付くと管理人は小さくこう言った。
「確かにリードをしとる。しかし長いリードやな…」
僕は管理人の前でボールを遠くに投げ、Q次郎は元気に走りボールを追いかけた。管理人は怪訝そうな面持ちで自転車に乗り去って行った。
「やったな!Q次郎!」
今でもこの「無敵のロングリード」は大活躍している。
今週の日曜日、NHKの「のど自慢」を見ながら昼食を食べていると、突然、テレビから大きな地震警報が流れ、同時に「強い揺れに備えて下さい」と音声が流れた。震源地は福島近海で震度5弱を観測する地震だった。「のど自慢」は数人が歌ったところで打ち切られ、地震の緊急番組に切り替わった。この地震で幸いにも大きな被害はなく安心したが、地震警報の音は何度聞いても驚いてしまう。
2005年3月に起きた震度6弱の福岡西方沖地震の発生時、僕は福岡の都市高速を車で走っており、博多湾に架かる全長350メートル、高さ60メートルの荒津大橋を通過していた。その時、突然、荒津大橋は揺れ始め前方を走る車が順に停止し立往生で渋滞になった。そしてまるで映画のシーンのように荒津大橋は大きく左右にうねりだした。僕は一瞬、何が起こったのか理解できなかったが、直ぐに地震だと気付いた。後から知ったが、荒津大橋は地震による倒壊を避けるため地震のエネルギーを逃がすように大きく左右に揺れるように設計されている。
荒津大橋が大きく揺れている間、僕は橋が倒壊し車ごと海に落下してしまうのではないかと考え、直ぐに脱出できるように車の窓を全て開けシートベルトを確認した。そしてラジオを付けると地震の大きさや震源地を説明していた。その後、地震はひとまず収まったが橋の揺れは直ぐには収まらなかった。
やっと橋の揺れが収まり前方の車は順次走り出したが、僕の前の車は女性が運転しており、地震で動揺しているようで車は動かない。ラジオから余震の注意が促されていたので、焦った僕はクラクションを鳴らし前の車を急かした。ようやく前方の車は走り始め、僕もその後に続き都市高速を降りた。
都市高速を降り福岡の中心地である天神に出ると、複数のオフィスビルの窓ガラスが割れ歩道に散乱している。また飲食店の集まる大名エリアでは電柱が倒れ倒壊した店もあり、警察官が道路を通行止めにしていた。あの時、僕は初めて地震の怖さを知った。
昨年あたりから、日本はもちろん世界中の至るところで地震や火山噴火が発生し、地殻変動が活発になっている。東日本大震災から10年が過ぎ、そろそろ大きな地震が起きてもおかしくない。もし南海トラフ地震のような大地震が起きればこの国の多くの都市は津波に飲み込まれてしまうことになる。
夏目漱石の小説のモデルになった物理学者の寺田寅彦が言った。
「天災は忘れた頃にやって来る」