今年のゴールデンウィークは3年ぶりに新型コロナウィルスの感染防止制限は解除され、多くの方が外出し道路は渋滞した。大型連休は「ホリデードライバー」と呼ばれる普段運転をしない運転が不慣れなドライバーが増えるので交通事故は増加する。福岡でも昼間の交差点でホリデードライバーの運転するワゴン車が横転する事故が起きたが、幸い怪我人はおらず同乗していた人は皆無事だった。
若い頃、僕は車を運転することに全く恐怖がなく交通違反や無茶な運転をして車をぶつけことや、購入したばかりの車を廃車にしてしまう大きな事故も起こしたが、今は安全運転を心掛けている。交通事故を起こすと、警察による取り調べや保険会社とのやり取りで多くの時間が割かれ、手間も掛かり、事故の後に後悔と憂鬱な時間を過ごすことになる。
昨年のゴールデンウィークの5月2日の夜に自宅近所で大きな交通事故が起きた。その事故は100キロを超える猛スピードで走って来たベンツが、自転車で道路を横断していた中学3年生の少年を跳ねた。事故現場に駆け付けた僕は呼吸の止まったその少年の心臓マッサージを行い、数分後に救急車が駆けつけ少年は病院に運ばれたが、翌5月3日の朝に少年は亡くなった。僕は少年に心臓マッサージを行ったので、この事故の記憶はこれからも消えることはいだろう。
今年の5月3日、僕はその少年が跳ねられた現場で花を供え手を合わせた。目を閉じて祈ると、事故当時の様子が頭に浮かんだ。事故現場にはたくさんの花やお菓子が供えられ、亡くなった少年は家族や多くの友人から愛されていたことが伺える。
事故を起こした男性は乱暴な運転による過失運転致死で逮捕され、彼と彼の家族の未来はこの日を境に一変した。そして事故で亡くなった少年はその日を境に希望に満ちた未来は途絶え、少年の家族は今も悲しみの癒えない生活を送っているだろう。交通事故で得をする人はおらず、当事者とその家族を不幸にしてしまう。
事故を起こした男性は事故の後に警察にこう言った。
「どうしようもなく、避けることはできなかった」
今の時代、車の技術は進歩し車の安全装置は以前より格段に向上している。交通事故は安全な運転を心がけることで避けることができる。
福岡市中心部にある大濠公園の近くに、毎日、開店前から行列のできるパスタ店がある。僕は愛犬の散歩で良くその店の前を通るが、散歩を終えて帰る頃にも同じ客が並んでいるので、待ち時間は優に1時間を超える。長い時間並んで食べるほど価値のあるパスタなのだろうか?僕は並ぶ時間を自分の時給に換算し店の価格に加算して考えるので、並ぶ店の料理は随分高いと感じてしまう。そのため僕は行列のできる店には入らない。ちなみに「行列のできる相談所」というテレビ番組があるが、そんな相談所にも僕は決して行かないだろう。(しかもこの番組を見る気にすらならない)
ところで今の時代は待つことをしない。いつでも誰とでも携帯電話やネットで繋がっており、コンビニは24時間年中無休、アマゾンなどの通信販売をネットで利用すると、翌日には注文した商品が自宅に届き、しかも飲食店の料理もネットで注文すると直ぐに配達され、あっという間に温かい料理が目の前に並ぶ。
以前は電車やバスに乗るにも時刻表を持っていなければ駅や停留場で電車やバスを待つことは多かったが、今はスマホで直ぐに時刻表や到着時間を確認することができ、電車やバスを待つことはほぼ無くなった。またスマホや携帯電話の普及により公衆電話の前で順番待ちをする行列も見なくなった。(今も公衆電話は設置されているそうだが、ここ数年僕は公衆電話を見たことが無い)
待つことをしない時代になり毎日の生活が慌しくなったように思える。そのためスーパーやコンビニのレジで少しの時間並ぶだけでも人はイライラしてしまい、信号待ちの車で信号が青に変わってモタモタしていると、後ろからクラクションが鳴らされる。
便利になったことで待つことが社会の中から排除され、人は我慢することや寛容な気持ちを失い、同時にときめきまで失ってしまったのかもしれない。
子供の頃はクリスマスや正月などの楽しい行事を指折り数えて待った。好きな子にラブレターを書き返事をドキドキしながら待った。そしてデートの日をときめきながら待った。
行列のできるパスタ店に並んで待っている客は、失ってしまったときめきを取り戻そうとしているのかもしれない…。
現代人とは異なり犬はちゃんと待つことができる。忠犬ハチ公は渋谷駅で主人の帰りを待ち、愛犬Q次郎は「待て!」と言われると、目の前に置かれたおやつを必死に我慢して待っている。人も以前のように待つことをしても良いのかもしれない。
来週、待ちに待ったゴールデンウィークが始まりブログの更新は2週お休み。皆さん、くれぐれもコロナウィルスには気を付けて素敵なゴールデンウィークをお過ごしください!
ホテルのランチバイキングに出掛けると、まるで気合を入れたようにトレーに沢山の皿を並べ、何度も席を立ち、全種類の料理を運んで平らげる人を見かける。しかも食後には全てのデザートまで運んで来るので驚いてしまう。僕も若い頃は腹一杯になるまで食べていたが、今では気に入った料理を少量だけ皿に盛る程度だ。彼等はそんなにお腹が空いているのだろうか?
家の近所の店で買い物を終えレジに並んでいると、支払いをする客が財布の中を何やら探している。後ろから様子を見ていると、財布には沢山のポイントカードが入っており、その中から店のポイントカードを探している。そしてついにレジ台に沢山のポイントカードを広げ店員と一緒にポイントカードを探し始めた。そんなにポイントが大切なのだろうか?レジで待つ他の客のことは気にならないのだろうか?
バイキングで全種類の食べ物を平らげる人やレジでポイントカードを必死に探す人は「得」、すなわち「利益」を追求しているのだろうか?僕は「利益」よりも「損失」を出したくないのではないかと考えている。
前者は食べ損なうことでの「損失」で、後者は貯め損なうことでの「損失」だ。人は「利益」よりも「損失」を出すことに過敏に反応し、損失回避行動を取ってしまう。これは行動経済学のプロスペクト理論で証明されている。
先日、日用品を購入するため足腰の弱くなったお袋をドラッグストアに連れて行った。店に入ると、お袋はカートを押しながら店内を隈なく歩き、必要な商品以外にも衝動買いをしてしまいカートは商品で溢れた。
ようやく買物を済ませレジに向かうと、店員からポイントカードの有無を尋ねられお袋は、僕に財布を渡しポイントカードを探してくれと言う。渡された財布を覗くと、沢山のポイントカードが入っており直ぐには見つからない。僕は後ろに並ぶ客が気になり、結局、レジ台に沢山のポイントカードを広げ、お袋と一緒に探した。
やっとの思いでレジを通過し、僕はお袋に聞いた。
「お袋!ポイントを貯めんといかんとね?何人も客が並んどるとに気にならんと?」
「ポイントカードを持っとるとに、ポイントば貯めんと損した気になろうが」
「やっぱり損失回避や…」