今秋の彼岸入りは9月19日だが、まだまだ猛暑が続いている。「暑さ寒さも彼岸まで」昔からの言い習わしで、夏の厳しい残暑はお彼岸の頃に落ち着き季節は秋へと加速する。しかし温暖化の影響で夏はさらに長引きそうで、今後、この言葉は使われなくなるかもしれない。
先週も猛暑の中、汗だくになり自転車で筋トレのため市民体育館のトレーニングルームに出掛けた。早速、下半身を鍛えるため「レッグプレス」というマシンに向かうと、「故障のため使用不可」と張り紙がされている。「レッグプレス」は座った状態でプレートに脚を乗せ、そのプレートを脚で押し伸ばすと、プレートから延びるワイヤーを介して重りが上がり負荷が掛かるマシンで、主に太腿やお尻の筋肉を鍛えることができる。僕は近くにいた体育館スのタッフに「レッグプレス」はいつから使用できるか尋ねた。
「いつ頃からレッグプレスは使えるんですか?」
「1カ月ほどで新しい部品が届き交換するので、申し訳ありませんが、しばらくはスクワットなどで鍛えて下さい」
「わかりました…。(スクワットならわざわざここに来んでも、自宅でもできるし…)」
そこで、負荷を掛けるために20㎏のダンベルを持ち1セット12回の3セットで「スクワットをすることに。回数を重ねると足にずっしりと負荷が掛かる。
「お~!これは結構、筋肉に効いとるなぁ~」
翌朝目を覚ますと、太腿が酷い筋肉痛でスムーズに歩くことができない。「スクワット」はバカにできんな。そこで自宅に戻り「レッグプレス」と「スクワット」の違いを調べてみた。
「レッグプレス」は座ったまま重たい物を脚で押すエクササイズなので、脚(大腿四頭筋とハムストリングス)を集中的に鍛えることができるが、この動作は日常生活で必要なエクササイズではないという。逆に「スクワット」は立って行うエクササイズなので脚だけでなく、体幹、お尻、上半身も同時に鍛えることができ、複数の筋肉群が同時に使われカロリーの消費量は高く効果的に全身が鍛えられるそうだ。また「スクワット」はベッドから出る時、階段を上る時、椅子から立ち上がる時、乗物への乗り降りなど日常生活で頻繁に使う動作のエスさサイズだという。
「なるほどね~!そう言えば、高齢になっても舞台に立ち続けた女優さんは毎日スクワットをやっていたな~」
これからトレーニングのメニューに「スクワット」を取り入れることにした。今回の筋肉痛は3日ほど続き、まともに歩くことができなかった。
来週の月曜日は「敬老の日」で3連休だ。そもそも「敬老の日」は9月15日に固定の祝日だったが、祝日法の改正によりハッピーマンデー制度が適用され、「敬老の日」は9月の第3月曜日に変更された。ハッピーマンデー制度とは、祝日の一部を月曜に移動させ土日を含め3連休とし、余暇活動を拡大促進させることが目的で、「敬老の日」以外にも、「成人の日」、「スポーツの日(体育の日)」、「海の日」が、固定から月曜日に変更になった。
しかし「敬老の日」の日付が変更になることへの反対も根強く、9月15日は「老人の日」として残し、9月15日から9月21日までを「老人週間」とし、お年寄りの社会参加や健康長寿社会の促進など、さまざまな啓発活動が行われている。「敬老の日」がお年寄りを祝う日であるのに対し、「老人の日」はお年寄り自身が元気でいきいきと暮らすことを促す日としている。では「敬老の日」がどのような経緯で始まったのだろうか?
「敬老の日」の制定は諸説あるようで、まず兵庫県のある村で9月15日は「としよりの日」とし、地域でお年寄りを敬う日として定着しており、それが全国へと広がり「敬老の日」の制定に繋がった説や、聖徳太子が生活困窮者や身寄りのない人を収容するための施設「悲田院(ひでんいん)」を9月15日建立し、その施設が孤児院や老人ホームの役割を担っていたことが起因している説。そして岐阜県の「養老の滝」で、貧しいきこりが滝の岩間で汲んだ湧水を老いた父に飲ませたところ、若々しく元気になった話が都に伝わり、当時の天皇が9月15日にこの地の水を「老を養う若返りの水」と称え、年号を「養老」と改元したことによる説などがある。
「敬老の日」に高齢のお袋を温泉に連れて行き祝う予定だったが、まだ暑い日が続いているので、もう少し涼しくなってから連れて行くことになった。誕生日をあと数回迎えると90歳になるお袋は徐々に足腰が弱くなり、一人で外出することもままならない。週に3日ほど僕が送迎し病院へ通院しているが、それ以外はあまり外出をせず家で眠っていることが多くなった。また認知症が徐々に進行しているのか、日にちや曜日が分からないこともあり、先日も朝起きてきたお袋が僕にこう尋ねる。
「おはよう。私は朝ごはん食べたかね?」
「お袋は今起きてきたやんか」
「食べてないんかね…?」
「夢の中で朝飯ば食べたっちゃないと?」
9月15日の「老人の日」はお年寄り自身が元気でいきいきと暮らすことを促す日としているが、高齢のお年寄りがいきいきと暮らすことができるのだろうか?週に半分以上も病院に出掛け、何種類もの薬を毎日服用し、長生きすることは本当に幸せなのだろうか?
台風10号が去り、台風一過で澄みきった青空が広がり、ドライヤーから出るような熱風から多少心地良い風に変わってきた。スーパーの売り場では秋を代表する秋刀魚や栗が並び始め、もうすぐ秋本番だ。
「旨い寿司と松茸の土瓶蒸しが食べたいなぁ~」
ところでもうすぐ新米の季節になるが、スーパーの店頭では米が品薄で、米派の僕にとっては死活問題だ。日本人の米離れは加速し、一人当たりの米の消費量はピークだった1962年の118kgから年々減少し、今では半分以下の年間51kgまで落ち込んでいる。
今年の米不足は昨年の猛暑による不作やインバウンドによる訪日外国人の増加で、米の消費が増えたからだといわれているが、果たして本当なのだろうか?昨年の米の出来具合を示す「作況指数」は平年並みで、決して米が不作だったわけではなく、インバウンドによる消費は米全体の1%にも届かないそうだ。それではなぜ米が不足しているのだろうか?
米が不足している理由は「減反政策」によるもので、米離れにより、従来と同量の米を作れば米が余り価格は下落するので、安定した価格を維持するため政府は米農家が麦や大豆など他の作物に転作すれば、国が補助金を出す制度だ。そのため今では田んぼの約4割が減反され、ピーク時の半分以下に米の生産は抑えられている。しかし2018年にこの「減反政策」は廃止になったが、廃止されたのは田んぼを減らす減反で、今では米の「生産数量目標」を減らすことで補助金を出しているという。当然、ギリギリの生産態勢で米をやり繰りすれば、些細な需要の変動であっという間に品薄になり米の価格は高騰してしまう。
お隣中国では台湾有事をにらみ国内の食料備蓄を増やし、14億人の国民が約1年半食べられるだけの穀物を買い占めているそうだ。一方、日本の穀物備蓄能力は貧弱で、国民が1.5~2カ月食べられるほどしかない。日本政府は有事に備え食糧備蓄をもっと増やし、食糧生産力を高めるべきだ。今の日本の米の生産は700万トンほどだが、全ての田んぼを利用すれば1,400万トンの米を生産できるそうで、国内で米を消費できず余ってしまえば、海外に輸出すればいい。
どうも日本の政府や官僚はリスクヘッジすることができず、グローバルな視点で物事を考えない。もし有事が起これば日本はひとたまりもない。将来、日本で寿司を食べることができなくなり、海外で寿司を食うことになってしまう。
僕は毎年秋に「ふるさと納税」を利用し返礼品で米を頂いているが、今年は「ふるさと納税」の返礼品に米が消え小麦製品になってしまうかもしれない。
「パンと松茸の土瓶蒸しか…、しっくりこないな~」