先週、福岡は梅雨入りしたが、天気予報によると今年はラニーニャ現象により太平洋高気圧の勢力が非常に強く梅雨明けは例年より早いと言う。福岡の来週の天気予報を見ると、晴れマークが続き気温は30度を超え早くも夏の到来を思わせる。あちゃ~、今年は僕の大嫌いな夏が早く訪れ、しかも長期間に及ぶようで気が遠くなりそうだ。こう早く梅雨明けすると電力不足に加え水不足も心配になる。
ところで先日、ある知人から連絡があり、彼の勤める会社でリブランディングを計画しているので相談したいと言う。現在の僕は在宅勤務でほぼセミリタイアの状態だが、知人からの相談なので取り敢えず会って話を聞くことにした。そこで改めてブランディングについて頭の中で整理した。
そもそもブランディングとはアメリカの広大な土地で多くの牛を育てるカウボーイが、自分の所有する牛を直ぐに判断できるよう牛のお尻に熱したコテで焼印を押すことが起源だ。これはそもそもスペイン人の習慣だったが、スペイン人がアメリカ大陸を発見し、牛馬をアメリカに持ち込み熱したコテで牛に焼印を付けていたことがアメリカで定着したそうだ。つまりブランディングとは自分と他人の所有物を区別するために印を付けること指す。(ちなみに牛に焼印を押すことは残酷に思えるが、牛の皮は人間の皮の5,6倍もあるので牛はあまり熱さや痛みを感じないと言う)
またアメリカのように国土の広い国では、ガソリンスタンドや飲食店など遠くから直ぐに認識されるようロードサインを立て普及し、独自性のあるロゴマークが広く使われるようになり、今では企業や商品の歴史、それに企業ポリシーなどを図柄にしたマークが多く企業で使われシンボルマークになっている。
ブランディングで大切なことは、企業が消費者との約束を守ることで、その約束を守ることが企業ミッションだと僕は考えている。例えば自動車メーカーを見ると、メルセデスベンツは「ステータス」を、BMWは「走り」を、VOLVOは「安全」を消費者と約束している。この消費者との約束を守るために企業は惜しまず努力しなければならない。ブランディングをもっとシンプルに考えると、「らしさ」ではないだろうか。例えば「あいつらしいな」と言ったように、その人のキャラクターや思考、それに行動を想像できるイメージではないだろうか。
企業が消費者との約束を守り、企業と消費者が共感し時間を掛けて醸成される企業イメージがブランドだと僕は考えている。
今週、福岡も梅雨入りし天気の優れない日が続いている。後1カ月もすると梅雨は明け、僕の大嫌いな夏が始まる。以前にもブログに書いたが、とにかく僕は夏が大嫌いだ。夏は蝉の大合唱で夜明け前から目を覚まし、日中は暑くて無駄に汗をかき、蚊が部屋に入ってくると悪戦苦闘する。しかも夏は他の季節より食材は少ないので料理がマンネリになってしまう。今年は夏が訪れず、秋になってくれたら良いと思うが…。
世界はようやく新型コロナから立ち直り、数年ぶりの夏休みを楽しもうと計画を立てる頃だが、ロシアによるウクライナ侵攻は長期化し、世界中で食料や資源が不足し物価上昇によるインフレが加速している。アメリカでは急激に進んだインフレを抑え込もうと、中央銀行のFRBは今年3月に政策金利を引き上げ、今週も再び政策金利を引き上げた。
FRBなどの中央銀行が利上げすると、金融機関の貸出金利が上昇し企業は借入れすることに慎重になり設備投資を控え生産が落ち込んでしまう。しかも借入金の支払利息も増えることから返済の負担が増え企業収益の悪化に繋がる。また個人も企業と同様に金融機関からの借入れを控え余剰資金を投資から貯蓄に回すので、株価は大きく下落する。今後、FRBがさらなる追加利上げに踏み込めば、アメリカ経済に水を差すことになり景気が悪化する恐れがある。もしアメリカ経済が悪化すればその影響は世界経済に波及し世界経済は悪化するだろう。
またFRBの利上げは日本にも大きな影響を与えている。FRBが利上げに動いたことで米ドルは市場で買われ、逆にマイナス金利政策を行っている日本の円は売られ、円安ドル高が進行している。世界的に物資不足で物価が上昇し、円安で輸入品の価格がさらに上昇している日本は泣き面に蜂で2重苦になっている。
そもそも日本は資源がほとんどなく食糧自給率も低いためエネルギーや食料品を輸入に頼っているが、特にエネルギー価格の上昇は原発が停止し火力発電に頼っている日本の電気料金を直撃する。しかも火力発電では十分な量の電気を供給することができないため今年の夏は電力不足になる恐れがある。
今年の夏は例年より暑い夏になりそうなので、暑い夏が訪れる前に愛犬Q次郎をトリミングに連れて行き丸刈りにした。丸刈りになり涼しそうなQ次郎を見ていると、僕も丸刈りにしようかと考えてしまう。丸刈りにすると床屋に行く回数は減り、シャンプーの量も減るので節約できる。
そう言えば、小学校の頃は丸刈りしていたな…。
高齢の親父は寝たきりで入院しており、お袋も高齢のため一人で生活することが困難になり今は僕と一緒に暮らしている。そのため数年前から実家は空家になっていた。
実家の土地は僕が生まれる前にお袋の母である僕の祖母が苦労して購入した土地で、祖母が高齢になったことを受け、両親が祖母の家を新しく建て替え祖母と一緒に2世帯で暮らしていた。その後、祖母が亡くなるとお袋が土地を相続し実家はお袋の所有になった。
数年前から空家になっている実家をどうするのかお袋と相談していたが、今後、人口減少が進む日本ではさらに空家が増え、経済も縮小していく恐れがあるので実家を売却することにした。実家を3か月かけて整理し、昨年の2月に得意先の不動産会社を介して実家の売却を進めた。そして今週、購入希望者に実家を引き渡すことになったが、いざ実家を売却するとなると、祖母が苦労して購入した土地と親が苦労して建てた家を売ることにどこか寂しさを感じた。
引渡日の前日、雨の中をお袋と住み慣れた実家にお礼と別れを伝えるため出掛けた。実家の庭は雑草が伸びていたが、祖母の植えたたくさんの木々は鮮やかな緑の葉を纏い雨の雫で輝いていた。実家に入ると、当時の思い出が蘇って来る。両親と喧嘩したことや腹を抱えて家族で大笑いしたこと、僕が飼っていた愛犬のこと、そして僕をとにかく可愛がってくれた祖母のこと…。
実家の全ての部屋を回り玄関の鍵を閉めると、ふと親父のことを思い出した。僕が若い頃、真夜中に大きな交通事故を起こし、警察からの連絡で僕の事故を知った親父は心配して外灯の付いた玄関で明け方まで待っていてくれたことがあった。
実家を出てその足で祖母の眠るお寺に出掛け、祖母に実家を売却したことを報告し手を合わせた。
実家の売却が終わりお袋に売却して後悔が無いのか尋ねると、お袋はこう言った。
「土地やら家とか天国に持って行けんしね~」
「ばってん婆ちゃんが苦労して買った土地やし、親父とお袋が頑張って建てた家やけん愛着もあったやろう。寂しくないね?」
「歳を取ると愛着やら無くなったね。私が死ぬ前に処分出来てすっきりしたよ」
お袋の言葉は果たして本音だったのだろうか…。
長い間、住み慣れた思い出の詰まった家の売却は何とも切ないものだ。