夕方、風呂から上がりベランダで冷えたビールを頂く。「はぁ~、旨い!」至福の時間だ。
ベランダから望む川を挟み向かいではマンションが建設されており、建設作業員の方がこちらを見ている。何とも申し訳ない気分になる。彼らは炎天下の中を1日中作業しているので、一刻も早く自宅に戻り呂に入って冷えたビールを飲みたいだろう。
ところで今は多くの人がSNSを利用し、身の回りで起きた出来事を発信する時代だ。特に飲食店で異物混入などがあると、直ぐSNSに投稿され大問題に発展してしまう。先日も仙台にある大阪王将の厨房でナメクジが発生していると、元従業員がツイッターに投稿しネットで炎上する騒ぎになり店側は謝罪する始末。
昔はSNSがなかったので、飲食店で問題が起きても拡散されることはなく大きな問題に発展することは少なかった。しかし僕が子供の頃、目の当たりにした異物混入事件が今の時代に起きていれば、間違いなく大問題に発展していただろう。
その事件は僕が小学生の頃に起きた。お袋は僕と妹を連れ百貨店に出掛け、百貨店の最上階にあるレストランで昼食を取った時のことだ。お袋が何を食べたか覚えていないが、僕はハンバーグを注文し妹はうどんを注文した。(当時、妹はうどん好きでどちらかと言うと、洋食よりも和食が好きだった)
そして皆で楽しく食事を取り僕とお袋は食事を終えたが、妹は小学校低学年だったので食べ終わるのに時間が掛った。やっと妹がうどんのつゆを飲み食事を終えると、妹はキョトンとしながらどんぶりの中を覗いている。どんぶりの中に何か入っているようで、お袋がどんぶりの中を覗くと、何と、どんぶりの底には使用され輪になった絆創膏が入っていた。きっとその絆創膏は厨房スタッフが指に巻いていたものだろう。絆創膏の綿の部分は黒くくすんだ色で消毒液(赤チン)か血液のようだった。それを見てお袋は激怒し店員を呼んだ。
「ちょっと、こんなものが入ってますが!!」
「…大変申し訳ございません」
「使った絆創膏なんて不衛生でしょ!!子供が病気になったらどうするんですか!?」
その後、責任者が出てきてお袋に何度も謝罪し、その日の食事代は払わなくて済んだが、お袋の怒りは収まらなかった。妹はうどんを食べた私が悪いと涙ぐんでいた。
この異物混入事件はインパクトが大きく今でも僕は覚えている。
飲食店の皆さん、夏休みで多くの人が食事に出掛ける時期なので、異物混入などくれぐれも気を付けて下さい!指を怪我して絆創膏を貼る場合はビニールの手袋を付けた方が良いですよ!来週と再来週は夏休みでブログの更新はお休み♪久しぶりに食事に出掛けようか。皆さん、素敵な夏休みを!
今年は例年よりも早く梅雨明けしたので、夏は長く秋の訪れはまだ先になりそうだ。ミニチュアダックスの愛犬Q次郎は足が短く散歩に出掛けると、太陽に熱せられた地面の熱をもろに体に受けるので、少しでも涼しい朝に散歩に連れて行っている。しかし早朝の散歩でも暑さでQ次郎は伸びてしまう。Q次郎も秋が恋しいようだ。
3年前、先代の愛犬Q太郎が亡くなり僕はペットロスで沈んだ毎日を過ごしており、時間があるとミニチュアダックスを販売しているサイトをよく閲覧していた。Q太郎が亡くなって2カ月ほど過ぎた頃、ブリーダー直販サイトに掲載されているミニチュアダックスの子犬に目が留まった。その子犬の横には、以前、僕がQ太郎に買ってあげた同じぬいぐるみが写っていた。ひょっとしてこの子犬はQ太郎の生まれ変わりかもしれない。見学に出掛けてみようか…。しかしその子犬は兵庫県の加古川市に住むブリーダーが販売しており、福岡から加古川までは遠いので見学することを諦めた。
その後も、僕はその子犬が気になり、何度もネットでその子犬を閲覧していると、家人は僕にこう言って背中を押した。
「そんなに気になるんなら見学に行ったら?私たちが高齢になったら犬は飼えんし、早くせんと他の飼い主が現れるよ」
背中を押され僕はブリーダーに見学したいと連絡を取った。
見学のはずだったが、念のためにペット用のキャリーバックを持ち新幹線と在来線を乗り継ぎ加古川へ。加古川駅にはブリーダーの方が迎えに来てくれていた。そのブリーダーは人の良さそうな方で、彼は以前、サラリーマンだったが人間関係で行き詰まり会社を辞めたと言う。そしてミニチュアダックスが好きだったこともあり人付き合いの少ないブリーダーに転身したそうだ。
彼の自宅に着くと、早速、目当ての子犬を見せてもらった。子犬は生後50日で大きさ20㎝とまだ小さく、大人しい可愛い黒のミニチュアダックスの子犬だった。見学だけのつもりだったが、僕はその子犬を一目で気に入りブリーダーに譲ってくれるようにお願いした。その夜は神戸観光を兼ねて神戸で一泊し、翌日、その子犬を引き取り、キャリーバックに入れ新幹線で福岡に戻ってきた。
Q次郎は当初、別の名前を付けていたが、どうしても先代の名前を呼んでしまうためQ
次郎と名前を改め、先代同様に「Q(キュー)」と呼ばれている。Q次郎は明日3歳になり、人間の年齢に換算すると28歳で立派な成犬だ。明日はQ次郎の大好きな馬肉のジャーキーを沢山買ってあげよう。
「Q、長生きしろよ!」
広告業界では企画やデザインのコンペがよく行われ、僕も若い頃は多くのコンペに参加しプレゼンを行った。コンペはお得意先から声の掛かった複数の広告会社で行われ、お得意先のオリエンで与えられた課題に対し企画を練りプレゼンを行う。その後、お得意先がプレゼン内容は検討し、プレゼンに参加した1社の企画が採用される。しかし多くのコンペに参加して思うことは、オリエンからプレゼンまでの間で勝敗が決まることが多かった。
あるお得意先で年に2回、新聞の全面カラー広告のデザインコンペが行われ、決まって4社の広告会社が参加し、僕も毎回そのコンペに参加した。そのお得意先は世界中に空調設備を製造販売する企業で、オリエンでは毎回、納入実績のあるひとつの国がテーマで与えられ、その国の象徴的な風景などをデザインして提案することになる。お得意先から海外ロケの承認が下りなかったので、画像(フィルム)を借りてデザインを制作するのだが、当時、インターネットは普及しておらず、今のようにネットで簡単に画像を借りることはできなかった。当時、画像を借りるには数万点の画像をカテゴリー別にストックしているレンタルフォトスタジオに出掛け、そこで必要な画像を借りデザインにしていた。レンタルフォトスタジオは画像を借りることで費用は発生しないが、画像を広告物に使用すると費用が発生した。
僕はお得意先のオリエンを受けると、直ぐに福岡の複数の有力なレンタルフォトスタジオに連絡を入れ、お得意先からテーマで与えられた国に関する象徴的な画像を全て予約し差し押さえた。僕は日頃からレンタルフォトのスタッフに差し入れをするなどコミュニケーションを取っていたので、彼らは僕に非常に友好的だった。そして他の広告会社がレンタルフォトスタジオに出掛ける頃にはデザインに使えそうな画像はひとつも残っていなかった。僕はデザインに使用しなかった画像をプレゼンの前日に返却していたので、他社はデザインを制作する時間はほとんど無かっただろう。僕はそのお得意先のコンペで初回は負けたものの、それ以降、一度も負けたことはない。
その後、お得意先にコンペに参加している他の広告会社から僕に対してのクレームが入った。僕と親しかったお得意先は笑いながらこう言った。
「他社からクレームの連絡があったよ。あまり他社を虐めたらいかんよ(笑)」
「すみません(笑)」