「お父さん、随分と頬がこけてみっともなかったね。普通、死んだら頬がこけんように綿を入れるんよ」
通夜の後、自宅に戻るとお袋が言う。
「そんなら、明日、葬儀の前に頬に綿ば入れてやったら良いやん。葬儀屋さんは納棺師を手配して親父の顔を整えるか聞きよったばってん、お袋は断ったやん」
「そうやね…。お父さんが葬式は質素で良かと言いよったけん…。明日、葬式の前に綿を持って行ってお父さんの頬に入れてやろう」
翌日、葬儀の前に親父のこけた頬にお袋は綿を入れ始めた。
「あら、死後硬直で口が開かんね。お父さん少し口を開けて下さ~い!」
そう言いながら、お袋は手で親父の口を開けようとするが、なかなか口は開かない。そこで僕も手伝うと、かろうじて1センチほど親父の口は開いた。お袋は開いた口に綿を入れ割りばしで左右の頬に綿を押し込むが頬も硬く上手く膨らない。葬儀の時間が迫りお袋は焦っている様子。お袋が親父の頬に強引に綿を押し込んでいくので、親父の顔は少しずつ別人のように。そこに葬儀社の方がやって来た。
「どうされました?」
「お父さんの頬があまりにこけとるけん、頬に綿ば詰めて膨らませるけど上手くいかんとよ。あんたやってくれんね?」
「えっ、私がやるんですか?私、納棺師さんじゃないんですけど…」
「葬儀屋さんやけん、私より上手いやろ」
「わ、わかりました。時間が無いので急ぎましょう。」
仕方なく葬儀社の方は手袋をして親父の口に綿を入れ、割りばしで頬の奥まで綿を押し込んでいく。「あ~でもない、こ~でもない」と、お袋が横から口を出すので葬儀屋さんも悪戦苦闘する始末。葬儀の時間が迫り親父の兄弟も教会に到着したので、作業を終え葬儀を始めた。
親父は4年近く嚥下障害で飲み食いができなかったので、棺桶に親父の好物だったあんぱんを沢山入れ、好物だった飴玉を口に咥えさせた。葬儀の終盤、親父の好きだった美空ひばりに歌「川の流れのように」を流し親父を火葬場に送った。そして親父は飴玉を咥え沢山のあんぱんと一緒に火葬された。
「あんぱんに飴玉。親父は喜んどるやろうか?頬が膨らんだけん、まるであんぱんと飴玉をたくさん頬張っとうみたいやったな…」
火葬が終わり僕がそう言うと、お袋が言った。
「喜んどるよ。ずっと何も食べれんやったけん」
親父は天国で喉を詰まらせているかもしれない…。
親父は午前10時に息を引き取り、事前に相談していた教会と葬儀社に直ぐに連絡を入れた。葬儀社の方から親父の身長を唐突に聞かれ不思議に思い尋ねると、親父の棺桶のサイズの確認だった。午前11時半に親父の遺体を運ぶ搬送車が病院に到着し、自宅から車で1時間ほどの教会に親父の遺体を移した。僕とお袋も通夜と葬儀の打ち合わせのため直ぐに教会に向かった。教会に向かう車の中でお袋が言った。
「明日、お父さんは天国に旅立つけん、今夜はお父さんの傍にいてやらんといかんね」
午後1時に教会に到着し牧師さんと葬儀社の方と打ち合わせを始めた。通夜と葬儀の準備は慌しくて大変だと聞いていたが、当事者として初めて葬儀に向き合うと、その大変さには驚いた。通夜から火葬までのスケジュール、親父の衣装、遺影、祭壇の花、火葬場への移動、その後の食事など、決めることは多く、牧師さんと葬儀社の方との打ち合わせは2時間に及んだ。また牧師さんから葬儀で親父を紹介するための略歴を纏めて欲しいと言われ、慌てて略歴を纏めた。やっと通夜と葬儀の手筈が整い牧師さんに今晩のことを相談した。
親父の遺体は通夜(キリスト教では前夜式)の後、教会で一晩安置してもらうので家族は親父の傍で最後の夜を過ごしたいと牧師さんに伝えると、牧師さんは快諾してくれたうえで、こう言った。
「お父さんのご遺体の傍で一晩ご一緒に過ごされても構いませんが、それが何か意味があるんですか?」
「えっ!通夜はあの世に行く前日で、一晩中、遺体の傍で過ごすんじゃないんですか!?」
「そうされる方もいらっしゃいますが、お父さんはもう天国に行ってますよ。正確にはお父さんの魂は神の元に行ってます」
その時、僕の頭の中でアニメ「フランダースの犬」のラストのシーンが浮かんだ。教会で少年ネロと愛犬パトラッシュが酷く疲れ抱き合って死んでいくシーンだ。ネロとパトラッシュは天使に導かれて天に昇って行く。
「そこにある遺体はお父さんの亡き骸です。亡くなると魂は直ぐに神の元に旅立ちますから、お通夜で一晩中、亡くなった方の傍にいる必要はありません。昔は通夜と葬儀を自宅ですることが多く遠方からの親戚など集まるので、夜通し思い出話などをして過ごしていました。それがいつの間にか通夜の仕来りのようになったんでしょう」
牧師さんの言葉で頭の中が整理できた僕はお袋に尋ねた。
「お袋、牧師さんが仰る通り、親父はもう天国に行っとるばい。今晩どうするね?」
「確かにそうやね。お父さんはもう天国に行っとるけんここにはおらんね(笑)」
18時から教会で家族だけの通夜(前夜式)を行った後、夕食を外で取り自宅に戻った。その晩は夜更けまでお袋と親父の思い出話で盛り上がった。時計の針を見ると深夜3時を回っていた。
「お袋、もう遅いけんそろそろ寝ようか。明日は親父の葬式やけん。寝坊できんよ!」
ゴールデンウィークが終わり日常生活に戻った5月8日の朝、朝食を済ませベランダでコーヒーを飲んでいると電話が鳴った。電話は親父が入院している病院からだった。
「もしもし、お父さんの容態が良くないので急いでこちらにお越しください」
「わかりました。急いで向かいます」
まだ眠っているお袋を起こし、親父の入院する病院へ急いだ。
前日、お袋と親父の見舞いに出掛けた際、親父は反応が無く顎を使って下顎呼吸をしていたので、“そう長くないだろう”とお袋が言った矢先のことだった。
親父の部屋に入ると、そこには院長先生と二人の看護婦さんが立っており、僕等に気付くと院長先生はゆっくりと首を横に振った。
「お父さんは先ほど亡くなりました。間に合わなくてごめんなさい」
親父が息を引き取って10分ほど経過していたが、親父の聴力と脳もまだ活動していることを信じ、親父の耳元で声を掛けた。
「親父!本当にありがとう!ゆっくり休んでくれ!」
親父の命は風前の灯火だったので覚悟はできていたが、お袋が親父の耳元で涙を流しながら声を掛ける姿に涙が滲んだ。
「お父さん…お父さん…今までよく頑張ったね…。お父さん…今まで本当にありがとう…」
親父は後年、パーキンソン病を発症し誤嚥により肺炎を繰り返し、3年半の間、口から食事を摂ることができず経管栄養で入院生活を送った。今年の3月末に再び肺炎を起こし最期は心不全で息を引き取った。親父が食事や水分を口から摂取できず経管栄養で生き長らえることに家族の間で議論は尽きなかったが、親父はお袋と次の誕生日までは生きると約束していたようで、お袋は今年の誕生日までは親父を生かしたいと譲らなかった。親父の誕生日は5月29日だったが、誕生日までもう少しのところで親父は力尽きた。
葬儀は親父の希望により家族と親父の兄弟のみの質素なもので、クリスチャンのお袋がお世話になっている教会で通夜と葬儀を行った。葬儀の日は雲ひとつない五月晴れで、親父の棺桶には沢山の花が広げられその花の香りが心地良く香った。
翌日、親父の遺品を片付けていると僕と妹宛てに書かれた遺書を見つけた。遺書の中にこう書かれていた。“お前たちは俺の宝物だ。いつまでも兄弟仲良くするように”
「親父、ありがとう。天国でゆっくりと旨い酒を飲んでくれ!」