11月としては記録的な暑さから一転し、今週は急激な冷え込みで秋から冬へと季節が一気に進んだ。北海道や東北では雪が降り、驚いたことに鳥取にある大山では一晩で40㎝も雪が積もったという。朝、窓から外を見るとダウンジャケットや厚手のコートを身に纏った人が体を丸めて歩いている。今年は秋を楽しむことなく冬が始まった。
ところで僕の知人に30年近く借金で首が回らない人がいる。彼は真面目で比較的大人しい性格だが、若い頃にパチンコや競馬などギャンブルにのめり込み、借金をしてまでギャンブルの負けを取り戻そうとした。当初は複数の信販会社から借りていたが、信販会社の与信枠を使い切り信販会社から借り入れができなくなると、彼はヤミ金に手を出してしまった。彼は沖縄に住んでいるが、沖縄のヤミ金は他の都道府県のヤミ金とはシステムが違うようで、週掛けと呼ばれる金利を採用しているという。沖縄のヤミ金から10万円を借りると、融資時に利息3万円を最初に差し引かれて、現金7万円と10万円の借用書を交換することになる。そして、その場で初回1週間分の返済を求められ、実際に手にするのは現金6万円だ。その日から毎週1万円を返済し10週間返済すれば完済となる。他の都道府県では一般的なトイチ(10日に1割)、トサン(10日に3割)など元金が減らないシステムで暴利を貪るが、沖縄では生かさず殺さずの状態が長く続く。またヤミ金業者は横で繋がっており、返済日にヤミ金業者に返済することができないと、他のヤミ金業者を紹介され複数のヤミ金からお金を借りることになり債務が雪だるま式に増えていく。彼は現在15社ほどのヤミ金に借金があるという。
とうとう借金で首が回らなくなった彼は、親に何かと理由を付けお金を融通してもらっていたが、遂に親の貯金も底をつくと、彼は自分の子供からもお金を借りるようになった。結局、彼は借金の総額や返済した金額も正確に把握できなくなっている。ヤミ金への返済時に受け取る領収書にはヤミ金業者の屋号も住所も記載されておらず、個人の苗字だけが記されているだけなので、警察に相談しても知人との個人的な金銭のやり取りとして扱われ被害届も受け取ってくれないそうだ。また弁護士や司法書士への相談することや返済ができなくなると、職場に嫌がらせの電話を掛けると脅され、彼は弁護士や司法書士に相談することを頑なに拒み周りのアドバイスを全く受け入れようとしない。一体、彼はこれからどうなってしまうのだろうか。最悪の事態にならなければ良いのだが…。
「お金の取説」を若いうちからしっかり学び理解してお金と真面目に付き合っていかなければ、一生、お金に追いかけられてしまうことになる。お金は使う人によって善にも悪に化けてしまう。彼は今直ぐ「お金の取説」を読んで欲しい。
今週、義理の両親が住む沖縄へ久しぶりに帰省したが、3連休だったこともあり空港やホテルでは多くの旅行客で賑わい、まるで他の国で戦争が起きていることを皆、忘れているかのようだった。「日本は平和だな…」
ところでイスラエルとパレスチナのガザを実効支配するイスラム組織ハマスが軍事衝突して1ヶ月が過ぎ大きな犠牲が出ている。今後、さらにエスカレートすることになれば、エネルギー供給など世界経済へ影響を及ぼすかもしれない。
2世紀にローマ軍に敗れたユダヤ人は故郷を追われ世界に離散ることに。その後、第二次世界大戦でヨーロッパに住むユダヤ人はナチスドイツから人種的な理由で迫害を受け、自分たちの国をつくる必要性を強く感じパレスチナを「約束の地」として移住を始めた。しかしそこに在住していたアラブ系のパレスチナ人と対立することになる。
1947年、イギリスの委任統治下にあったパレスチナをユダヤ人国家、アラブ人国家、国際管理地区の3つに分割することが国連で採決され、これに基づき、翌年、ユダヤ人国家としてイスラエルが建国された。しかしパレスチナ人やアラブ諸国はこれを容認せず戦争が勃発。1973年まで4度の戦争などを経て、米国の支援を受けたイスラエルは徐々に占領地を拡大し多くのパレスチナ人が難民になってしまう。
1993年、イスラエルとパレスチナ解放機構がオスロ合意で調印し、ヨルダン川西岸とガザ地区はパレスチナ自治区となり、イスラエル軍は2005年にガザから撤退。しかしその後もイスラエルはガザ地区との境界を管理し、ガザは「天井のない監獄」とも呼ばれ、東京23区の6割ほどの広さに約220万人のパレスチナ人が暮らしている。
その後、ガザを武力制圧したイスラム組織ハマスはイスラエルの存在を認めない立場で、イスラエルに攻撃を始めイスラエル軍と軍事衝突が繰り返されている。ちなみにハマスは過激派組織と言われているが、ガザ地区に学校や医療施設など生活インフラを整備し、住民からの支持は高い。しかしガザ地区は長い間、封鎖されており自由も制限され失業率は高く若者を中心にイスラエルへの不満が募っている。
そして、先月、ハマスはイスラエルを再び攻撃し軍事衝突が起きた。イスラエルの大規模な報復攻撃でガザ地区では数多くの人が負傷し命を落としている。
家族や友人を失い深い悲しみが大きな怒りや恨みへと変化していく。この深い悲しみと大きな怒りはいつまでも忘れられることはなく、この地で双方が許し認め合うことはないだろう。世界を巻き込んだ2度の大戦で多くの人が犠牲となり、世界中で平和が訴えられているが、戦争がなくなることはないだろう。
近い将来、日本も戦争に巻き込まれてしまうかもしれない。
秋も深まり、最近の最高気温は25℃前後、最低気温は12℃前後で、一日の気温差は10℃以上になる。僕の住むマンションは気密性が高く部屋は暖かいのでタオルケットだけで寝ていたが、朝方の冷え込みで目を覚ますと愛犬Q次郎と抱き合って眠っていた。
「うう~寒い。毛布を出そう」
ところで史上最高齢の犬としてギネス世界記録を持つポルトガルの雄犬「ボビ」が今月21日に31歳と165日で死んだ。「ボビ」は「ラフェイロ・ド・アレンティジョ」という犬種で平均寿命は12~14歳で、「ボビ」はその2倍以上長生きしたことになる。ちなみにこの犬種は大型犬で平均寿命の14歳を人間の年齢に換算すると103歳になるそうだ。「ボビ」の年齢を人間の年齢に換算すると、一体何歳だったのだろう。
「ラフェイロ・ド・アレンティジョ」という難しい名前の犬種を調べてみると、ポルトガル中南部でよく見られ、遠い昔、イベリア半島にやってきた中東の大型犬が元になっているとされる。昔、ポルトガルでは良質な牧草を求めて家畜と人間が季節的に移動する「季節移動」が頻繁に行われ、外敵から家畜を守る勇敢な犬の存在が必須だったという。「ラフェイロ・ド・アレンティジョ」の性格は、勇敢で縄張り意識が強いそうだ。
「ボビ」の家族によれば、「ボビ」が長生きできたのは農地や森に囲まれた穏やかな環境でリードを付けずにストレスフリーで暮らしていたことや、人間と同じ食べ物を水に浸し調味料を取り除き食べていたからではないかという。そして「ボビ」の母親も18歳まで生きたので、家系的に長寿の遺伝子だったようだ。「ボビ」の性格はとても穏やかで社交的だったそうで、人に撫でられることが大好きだったという。
今では良質なドッグフードや動物医療の発展でここ数年の犬の寿命は飛躍的に延び、以前うちで飼っていたった愛犬も19歳まで長生きした。逆に粗悪な環境や飼い主の愛情を欠いて早く天国に旅立つ犬も多くいる。縁あって出逢い、そして共に毎日を暮らすことは奇跡的で運命のように感じる。もし生まれ持った命に寿命があるのであれば、長短に関わらず幸せな生涯になるよう大切に寄り添ってあげたいと思う。
「Q次郎、長生きしろよ!一緒に田舎で暮らすか?」
そう声を掛けるとQ次郎は首を傾げた。
きっと「ボビ」は天国で幸せに暮らしているだろう。ご冥福を祈ります。