考え事があって昼下がりにカフェに入りテラス席に座った。そして外の行き交う人を眺めていた。
トレンドを意識したスーツを身に纏いさっそうと歩く若い男性や、シャツの腕を捲くり汗だくで急いでいる頭の薄い中年男性。ベビーカーをゆっくり押しながら歩いている男女に、ショッピングカート押す年配のご婦人。作業着にヘルメット姿で大きな図面を持ち、空を見上げながら歩いている男性や、楽しそうに釣竿を持ち自転車を走らせる男性。そして、観光客なのだろうか地図を手にした金髪の女性…。
平日の昼さがり其々の目的を持った多くの人が歩いている。
世界の人口は70億人を超える。
もし神様が存在し高い空からよく見える望遠鏡でこの世界を覗くと、70億人の生活が見えて、さぞ面白いだろう。
喜んでいる人や怒っている人、悲しんでいる人や楽しんでいる人。また遊んでいる人や仕事をしている人。それに食事をしている人や眠っている人。そして争っている人…。
人間なんかちっぽけな存在に見えるだろう。
生物学から蟻の世界を研究すると、蟻にも個性があり、そして目的があり様々な営みがあるそうだ。生まれながらに良く働く蟻や、死ぬまで全く働かない蟻。そして仲間を裏切る蟻、違う群れと餌をめぐって激しく争う蟻…。まるで神様が人間社会を覗いたような世界が身近に広がっているそうだ。
蟻が一喜一憂することを僕らは気にも留めないし、蟻が餌を他の集団に奪われ落ち込んでいる姿を僕らは気にも留めない。それと同様に僕らが寝込みそうなくらいショックで落ち込んでいたとしても、神様は気にも留めないだろう。「たかがそんなことで」そういって笑っているかもしれない。
週末に蟻を捕まえ土の入ったガラス瓶に入れ、神様になった気分で覗いてみようと思う。
僕らが一喜一憂していることがバカらしく思えるかもしれない。
「あなたの悩みなんて小さなことよ!」
written by キャサリン
広告業界で生きている人は勘違いしている人が多いようだ。
タレントやモデルさんなどを使って撮影を行い、その出来上がった素材をメディアで広範囲に露出する。取り扱う金額はかなり大きいので、まるで世の中を自分が動かしているように錯覚してしまう。昔は少なからず僕もそうだった。
ある保険の広告で「がんは日本人の2人に1人がかかる身近な病気です」と謳っている。しかし統計をちゃんと見ればわかるのだが、このことは80歳まで生きると仮定した際の話だ。しかし、まるで年齢に関係なく50%の人間が癌になるように煽っており、消費者に恐怖感を与えている。
そもそも売上が上がるのであれば、どんな仕事でも引き受ければ良いというものではないと僕は考えている。
「広告、クリエイティブ業務を通じお取引先様を正しく幸せに、そして社会に正しい幸せを広げる」これは当社の企業理念だ。世の中に必要で社会に幸せを広げる企業や商品のお手伝いをするべきで、正しい仕事でお得意先を正しく幸せにし、そして社会に多くの幸せを広げなければならないと考えている。だから売上に繋がるのであれば、どんな仕事でも引き受ける訳ではない。
先日、ある方からギャンブル関係の仕事の話を頂戴したが、当社の企業理念を説明し丁重にお断りした。ギャンブルで幸せになる人は極僅かはいるだろう(笑)。しかしギャンブルで社会に幸せが広がるとは思わない。社会に必要なものなのか?社会に大切なものなのか?を考えて仕事をしないと社会に悪影響を与えてしまう。
今日もテレビでスマホゲームのCMが大量に流れていた。膨大な広告宣伝費だろう。取り扱い広告会社とテレビ局はさぞ喜んでいることだろう。
しかしスマホゲームが社会に本当に必要で大切なものだろうか?社会に悪影響は無いのだろうか?
written by マックス
先日、叔母が亡くなり葬儀に出かけた。
最近は葬儀の後に初七日、四十九日まで執り行うことが多い。叔母の場合は葬儀の後、初七日まで執り行った。何度も何度もお坊さんの読経を聞き、合掌し低頭、そして礼拝。本来であれば、一日で行うものではないが、親族も地方に散らばって多忙な生活をしているので、現代は一気に執り行うのだろう。丸一日、畏まった状態だったのでヘトヘトになってしまった。
慌しい仏事だったので、さぞ叔母も慌しかっただろう。
現代の時間は昔の時間より随分速度が増している。移動はもちろん生活の速度もどんどん早くなっている。企業も生き残りを賭けて成長の速度を増している。そのためM&Aが盛んに行われ、目標数字は更に高くなっている。
しかし、企業の成長と同じ速度で、社員の能力も上昇すれば良いのだが、それはなかなか難しい。また時間の速度が増すと見えなくなるものや、聞こえなくなるものも増えてくる。消費者の真のニーズも見えづらく、また消費者の生の声も聞こえづらい。当然、自分の本当の心の声すら聞こえなくなってしまう。
僕も振り返るとかなり急いで生きてきたように思う。そして多くのものが見えなくなり、自分の心の声までも聞こえづらくなってしまっていた。
叔母は歌が大好きで、根っから明るい人だった。晩年、叔母は自らカラオケ教室を開き、多くの生徒に歌を教え笑顔に囲まれながら暮らしていたそうだ。叔母は自分の本当の心の声に従い幸せな人生だったと思う。
葬儀には多くのカラオケ教室の生徒が参列し、叔母の死を惜しんでいた。
あまり慌てず、自分の本当の心に従って生きることが幸せなのかもしれない。
written by マックス