先週末、桜並木が続く室見川沿いの道路を車で走った。満開の桜はまるでトンネルのように道路を優しく包んでいるのでサンルーフを開けた。もうすぐ散り時なのだろうか、桜の花びらがサンルーフから車内に舞い込んでくる。散っていく桜の花びらを見ると喜びと同時に寂しさを感じる。
ところで今年に入り各地で地震が発生し、東日本大震災以降、日本の東側にある太平洋プレートの動きが活発になっているという。元日に能登地方を震度7の地震が襲い、台湾でも震度6の地震が発生し沖縄に津波警報が発令された。そして今週、太平洋に面する宮崎で震度5弱の地震が発生、千葉でも群発地震が続いている。
東日本大震災前も震源地近くで、プレート境界の断層がゆっくりとズレ動くスロースリップが発生し地震が多発したという。小さなズレが何度も起きると大きな地震を引き起こすそうで、千葉で起きている群発地震は心配だ。千葉では2月下旬から震度1以上の地震が25回以上発生しており、海底が2㎝ほど南東へ動いたと推測され、その震源が南東に移動すれば首都直下型地震の引き金になる可能性があるという。
また今後30年間の発生確率を70~80%と予想される南海トラフ地震が懸念される。東日本大震災以降、南海トラフにあるフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界でも大きくひずみが溜まり巨大地震の危機が迫っている。政府が算出した南海トラフ地震の被害想定では、最大震度7~9以上の大きな揺れと高さ20mを超える巨大津波が発生するといわれ、東海地方から九州にかけての広大な範囲が複合的な災害に見舞われる。そして最悪のケースでは静岡県だけで11万人近くの人が死亡すると予想されている。
福岡でも約20年前に震度6弱の福岡西方沖地震が発生した。僕は地震発生時に都市高速に掛かる荒津大橋を走っており、まるで映画の中にいるように大きく揺れる橋の上で、車にしがみついた。福岡の中心部ではビルの窓ガラスが割れ歩道に落下し、古い民家は崩壊していた。
福岡の中心部には警固断層と呼ばれる活断層が延びており、自宅から直線距離で約3キロの場所にある。この断層は今後30年以内に地震が発生する確率を4つに分類されるランクで、最も高い確率で発生するSランクに指定されている。地震が発生するとマグニチュード7を超える可能性があり、爆弾の上で暮らす市民は心穏やかではない。いつ爆弾が爆発してもいいように常に準備をしておかなければならない。
昔は季節がゆっくりと移り変わっていたが、地球温暖化の影響なのか、近頃は突然のように季節は変わる。桜の開花宣言が出ると気温は夏日を超え、初夏のような陽気だ。その中、新社会人なのだろうか?馴染まない新しいスーツ姿の若者を見掛ける。昔、僕も新しいスーツで初出勤をしたな~。僕の入社初日はあいにくの雨で新しいスーツが濡れたことを覚えている。午前中はオリエンテーションがあり、その後、上司と新入社員は福岡の老舗鰻屋で昼食を取った。鰻屋で緊張しながら初めて鰻の懐石料理を食べたことを今でも覚えている。
ところで一風変わった入社式の様子がテレビで報道されていた。ある化粧品メーカーの入社式は新入社員が早く会社に馴染めるようにと、入社式の開始前、会場脇に設けられたメイクコーナーで新入社員と年齢の近い社員が新入社員にメイクを施し交流をしていた。
またある会社では従業員の多様性を尊重しようと、服装や髪形を自由にし、金髪の男性社員やワンピース姿の女性社員が入社式に参加する異様な光景が映っていた。そしてある銀行では業務や会社の雰囲気を知ってもらおうと、新入社員の両親を招待して入社式が行われ、さらにサプライズで投資用の10万円を初任給に上乗せし支給することを入社式で発表した会社など、様々な入社式が報道された。
一風変わった入社式を行う背景には、人手不足や若い社員の転職が影響しているようだ。今の時代の若い社員はひとつの会社で働き続けようと考える人は少なく、自分が成長できる環境があれば直ぐにでも転職しようと考える人が多いようだ。日本はゼロ成長やマイナス成長という時代が長く続き、ひとつの会社に忠誠を尽くしても将来の安定や安心が担保できないと考えているという。彼らに魅力的に映るのは自身のキャリアに寄り添い、キャリア開発の機会や環境を与えてくれる会社で、まずは自分のスキルアップを優先しているようだ。会社もその若い社員のニーズを受け止め一風変わった入社式を始めている。しかし一風変わった入社式全てが良いとは思わない。
新入社員の緊張をほぐし心温まる入社式は納得できるが、カジュアルで何でもありの入社式には疑問を感じる。学生時代と違い社会人として初めて踏み出す入社式は、やはりフォーマルの服装で両親など招待せず身の引き締まる入社式であって欲しい。驚いたことに入社初日に退職したという新入社員がこう語っていた。
「何か違うなぁと、思ったんですよ…」
彼の真意は何だろうか?
3月に入ると長雨と寒の戻りで、福岡の桜は平年より遅れて開花した。今週、誕生日を迎える高齢のお袋を祝おうと、満開の桜を臨める店に予約の電話を入れたが、既に花見客で予約は一杯だったのでホテルの和食レストランを予約した。結局、桜の開花が遅れたことで桜の臨める店を予約しなくて良かった。自然は人間の考えるようには動いてくれない。
大病を何度も克服し百戦錬磨のお袋は、今年の誕生日で米寿を迎える。長寿のお祝いは、中国の儒教の敬老思想と長寿を尊ぶという思想が起源で、長寿を祝う慣習が日本に伝わり平安時代の貴族の間で広まった。その後、祝いの節目は、奈良時代から鎌倉時代で変容し、現代では60歳「還暦」、70歳「古稀」、77歳「喜寿」、80歳「傘寿」、88歳「米寿」と続き、さらに90歳「卒寿」、99歳「白寿」、100歳「百寿」と現代の数え方で祝うことが広まった。中でも特に知名度の高い長寿の祝いは「還暦」と「米寿」でちゃんちゃんこを着て祝う。
昔は寿命が短く60歳を迎える頃には子供のように体が弱わっていたので、「還暦」は「生まれた年に還る」という理由から、子供用の袖なし羽織(はおり)の「ちゃんちゃんこ」を着せて祝うようになった。またちゃんちゃんこは厄除けの意味を込め、赤い物を着るようになったそうだ。「米寿」は、米寿の「米」を解くと八十八になることが所以だが、お米の稲穂を見立てた黄金(黄色)のちゃんちゃんこを着て祝う。しかし地方によっては長寿の祝いの節目の年を厄年と捉えお祓いをするところもあり、「祝うとそれ以上長生きしなくなる」ともいわれ、長寿の祝いをしない地域もあるそうだ。
予約時にホテルにその旨を伝え、黄金色のちゃんちゃんこを用意してもらい、ちゃんちゃんこを着たお袋が恥ずかしくないように個室を予約した。
当日、お袋が席に着くと黄金のちゃんちゃんこが運ばれてきた。お袋は驚いていたが、そう恥ずかしがることも無く、自ら喜んで黄金のちゃんちゃんこを着て同色の大黒帽を被った。
「どうね、似合っとるね?」
「似合っとうよ。しかし派手やな~。お袋が死んだら遺影にしてやるけん写真を撮ろう!」
「何ば、バカなこと言いよると!こげん祝ってもらえるなら、まだ長生きせんといかん」
そう言って笑うお袋の写真を撮った。その日お袋は上機嫌で旨い食事とワインを楽しんだ。そして食事が終わる頃、お袋が言った。
「次のお祝いは何歳でするんかね?」
「次は90歳の卒寿やね」
「もう直ぐやね!より頑張ろう!」
お袋は日本人女性の平均寿命の87歳を超えた。これからも元気に記録を伸ばして欲しい。