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2018年02月23日

冬季オリンピックで日本人選手が活躍しており、テレビの前で僕も応援している。2年後には夏季オリンピックが東京で開催されるので今から楽しみだ。僕も親を連れて出かけようと考えたが、真夏で暑いだろうから会場には出掛けず自宅で冷えたビールを飲みながら観戦しようと考えている。しかし東京オリンピックが終わると日本の姿は大きく変わるだろうと、心配している。

今は東京オリンピック関連のインフラ整備などの特需で景気は回復し、消費も少しずつ伸びている。東京オリンピックの前年の秋に消費税が増税され、高額の商品を中心に増税前の駆け込み需要で消費は伸びるだろう。しかし増税後はその反動で消費は低迷するだろうが、翌年の東京オリンピックまではインバウンド需要もあり盛り返すだろう。
しかし2020年東京オリンピックが終わると、日本は少しずつ景気が悪化し消費は冷え込むと思える。また2025年には団塊世代が75歳以上の後期高齢者となり社会保障費は膨張していく。所謂、「2025年問題」が日本経済を直撃することになる。
日本経済は今から東京オリンピックまでの2年と、その後2025年までの5年しかもたないのではないだろうか。日本に残された時間は7年しかない。

僕は悲観論者ではないが、2025年以降は大変な時代が訪れると考えている。若い世代はそれまでに厳しい時代でもしっかり生きていけるよう自分のスキルを高めなければならない。また中高年はそれまでに収入を増やし投資も率先して行い自らの貯えを最大化にしなければならない。
多くの人はネットで手軽に情報を閲覧しているので大切な情報には触れていない。そのため将来の日本にリスクをあまり感じていないようだ。健全なリスクを持ち、そのリスクにしっかり備えなければならない。
「備えあれば憂いなし」

オリンピックは勇気と希望をたくさん与えてくれる。今週でピョンチャンオリンピックは幕を閉じる。日本のオリンピック選手にもらった勇気と希望を抱き、限られた時間を有効に使い自己能力を最大化させなければならない。

残された時間は余りない。

written by チュグアナ


2018年02月16日

子供の頃、バレンタインデー当日はドキドキしていたが、この歳になると全く関心が無くなってしまった。今年も飲み屋などからチョコが数個郵送で送られてきたが、あまり甘いものを好んで食べるわけでもないので、できれば気を利かしてビールやウィスキーでも送ってくれると有難いのだが…。
また別の飲み屋のママからはチョコレートを用意しているので来店を促す連絡があったが、僕はバレンタインデーにチョコ目当てに飲みに行くほど物好きではないので、相手にしなかった。ちゃんと用意しているのであれば郵送で送ってくれれば良いものを…。(ベタな営業やな~笑)

春が近づき甘いチョコでも頬張りのんびりとしたいところだが、最近、株の値動きがジェットコースターのように荒い。2月に入りアメリカのダウ工業平均の株価が史上最大の下げ幅を記録し大暴落。世界中の市場でも負の連鎖が起こり世界同時株安に繋がった。当然、日本の株式市場も大きく値を下げ、僕も巻き込まれてしまった。僕が保有していた銘柄は結構な含み益があったのだが、その含み益は一瞬で吹っ飛び、さらに大きく損失を出してしまった。

世界的に経済は良好で特にアメリカは好景気で経済指標は良いのだが、これからさらに景気が拡大し企業も個人も資金需要が高まれば、当然、貸し手の銀行などが優位になり金利が上昇することになる。そして遂に2月に入りアメリカの長期金利が上昇してしまった。金利が上昇すると株価の理論値は下がるため一気に株が売られることになった。また現在はコンピューターによる売買が盛んで、株価が一度下げ始めると一斉にコンピューターは保有株を売りに回ることに。

オリンピックの時期は地政学的に安定し北朝鮮とアメリカの挑発は無くなり、日本企業の業績は好調で3月末の決算時期に向けて株高になることを見込んだ僕は株の買い増しを続けていた。そこにこの大暴落…。年初の目標に株式投資で稼ぐことを掲げていたが早速躓いてしまった。どれだけの投資家がこの大暴落を予測できたのだろうか。

僕は一旦、世界経済と株価を傍観することにした。甘いチョコを食べながら少し頭を冷やし次のチャンスを狙うことに。チョコは苦く感じた(笑)

written by モンコ


2018年02月09日

先週の朝、介護施設から叔母が急逝したと連絡があった。

叔母は子供のころ戦争がはじまり家族で朝鮮に渡り、終戦後、日本に引き揚げミッション系の女学校に通った。その後、東京の大手企業に就職し、定年までちゃんと勤め上げた。叔母は生きているうちに何度か恋をしただろうが、結婚はせず一生独身だった。定年後は友人と何度も旅行に出掛け、海外にもよく出掛けていた。

一昨年、叔母は体調を壊し認知症を患ったので、叔母の妹である僕の母に引き取られ、福岡で一緒に暮らしていた。僕の父母も高齢で認知症を患った叔母の面倒を見ることに苦労していた。そこで昨年の秋に渋々叔母を介護施設に預けることになった。僕の父母は叔母のことを気遣っていつも介護施設を訪問していた。
昨年末、急に叔母は体調を壊し緊急入院をしたが、何とか持ち直し今年の正月は家族全員で叔母を囲んで楽しく過ごすことができた。また叔母は正月が誕生日だったので、家族みんなにお祝いされ喜んでいた。僕は叔母に3匹の子犬のぬいぐるみをプレゼントし、叔母はそのぬいぐるみを抱いて大そう喜んだ。その3匹の子犬のぬいぐるみに僕は叔母と一緒に名前を付けた。

「この子はジョン、それにこの子はムサシ、そしてこの子は田中」
「…」

家族皆で大笑いした。
正月が終わり介護施設に叔母が戻るとき、その3匹の子犬のぬいぐるみを僕は持たせた。介護施設で叔母はその3匹の子犬のぬいぐるみをいつも抱いていたそうで、眠るときも一緒だったそうだ。

叔母の葬儀は僕の母がクリスチャンということもあり、叔母も若い頃にミッション系の女学校で洗礼を受けていたので、母が毎週礼拝に出掛けている教会の牧師さんにお願いし、自宅で密やかにキリスト教の葬儀を執り行った。棺桶の中で眠る叔母の顔は穏やかで、まるで全てに解き放たれたようだった。僕は叔母の顔の傍に3匹の子犬のぬいぐるみを寄り添わせた。

叔母は明るくはっきりしとした性格で努力家だった。叔母は英語が堪能で趣味は三味線と琴だった。東京ではよく演奏会に出掛け演奏していたそうだ。また叔母はお洒落でたまに皮の黒のスリムのパンツを着るなど、時にファンキーな格好で僕らを驚かせた。叔母は昔の言葉で「ハイカラ」がよく似合う人だった。
僕は叔母に子供の頃から随分と可愛がってもらった。僕が子供の頃は休みに東京に出掛け東京タワー、上野動物園のパンダ、後楽園遊園地などたくさん見物に連れて行ってくれ、ハトバスにも乗せてくれた。
叔母は終戦後の焼け野原となった日本で単身上京し、ひとり強く生きた。きっと寂しいことや悲しいこと、それに苦しいことがたくさんあったろうが、愚痴や小言を一切口にしなかった。

今週、東京に出張で出掛けた。福岡はどんよりとした天気で雪が降り寒かったが、東京に着くと真っ青な青空が広がっていた。叔母は東京で青空を見上げ何を思っただろう。東京の青空を眺めていると叔母を恋しく思った。

「叔母ちゃん。ありがとう。安らかにおやすみ」

written by ダニエル


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