今週、福岡でも桜は満開になり明日から4月でいよいよ春本番だ。愛犬Q次郎は寒がりで越冬するため毛を伸ばしていたが、週末は伸びた毛をカットして風呂に入れてあげよう。昨年もこの時期にベランダでQ次郎の毛をカットしたが、無理な姿勢からギックリ腰になったので、今年は気を付けなければならない。また冬にQ次郎との散歩で着ていたダウンジャケットも洗濯しよう。
ところで今回のブログ更新で500回の更新になる。祝!祝!パチパチパチパチ。ブログは週に1度更新し、1年は52週あるので約10年もブログを更新している。ブログの文字量は毎週約1,000字で、500回のブログ更新で書いた文字量は50万字に及ぶ。一般的な本の文字量は文庫本で10~12万字、新書では8~12万字で、どちらも1ページあたりの文字量は15行×40字で600字になり、1冊が10万字の本では167頁ほどになるそうだ。驚いたことに僕はもう5冊も本を書いたことになる。
そもそもブログを始めたきっかけは、会社のPRと社内外のコミュニケーション、それに当時一緒に働いていた連中の文章力向上のためだった。ブログの内容は日々の生活や仕事で感じたことなど雑記で良く、毎週金曜の業務時間外にブログを書きスタッフ間でローテーションし更新するルールになっていた。しかしそのルールは初回から守られず、仕方なく僕が最初にブログを書くことに。それ以降も予定があるや仕事で忙しいなど理由を付けて誰もブログを書かないので、しばらく僕がブログを書くことに。当初のルールを守って自発的に誰かがブログを書くまではと、意地を張って書いていたが一向に誰もブログを書こうとはしない。そしていつの間にか(仕方なく)僕のルーティンワークになってしまった。
「皆で決めたルールだろ。しっかり守れよ!」
今でもブログを続けることに苦痛を感じることはあるが、ブログを書くことで得られるものもある。まず何よりも忍耐強くなった。ネタが無くても体調が悪くても意地でも金曜日にはブログを更新しなければならない。(一体、この意地は何だろう…)また日々の生活の中で常にアンテナを張りブログのネタを探さなければならないので、多くのことに敏感になった。そして文章を書く訓練にもなり、年齢を重ねて脳が低下することを抑制することにも繋がっている。
いずれにしても毎週楽しみにブログを読んでくれている人もいるので、これからもブログを続けるつもりだ。
「さぁ、500回記念だ。今夜は祝杯を挙げよう♪」
WBCの決勝戦で日本代表の「侍ジャパン」が米国代表を撃破し、3大会ぶりに世界一に輝いた。アメリカで行われた決勝戦は日本時間の平日3月22日の朝8時から行われ、僕はラジオ中継を聴きながら愛犬Q次郎の散歩に出掛け応援した。多くの人は仕事の合間にスマホで試合の状況を確認していたのではないだろうか。
ところで3月21日の「春分の日」はお彼岸で毎年恒例のお墓参りに出掛けた。毎年お彼岸にはお墓参りに行くことが恒例になっているが、なぜお彼岸にお墓参りに出掛けるのだろうか?
お彼岸は春と秋の年2回あり、春のお彼岸は「春分の日」(毎年3月20日頃)を中心に前後3日の7日間、秋のお彼岸は「秋分の日」(毎年9月22日頃)を中心に前後3日の7日間とされている。「春分の日」と「秋分の日」は年によって異なり、毎年、国立天文台がその日を決め、前年の2月に政府が発表することになっている。そして「春分の日」と「秋分の日」を決めるには太陽が大きく関わっている。
地球は太陽の周りを1年かけて一周(公転)し、地球は1日で一周(自転)している。地球が自転するときに地球の軸が公転の面に対して約23.4度傾いているため公転するときに、その傾きが昼と夜の時間の違いや季節を生み出している。そして年に2回、昼と夜の長さが同じになる日を春分点と秋分点と言い、その春分点と秋分点を含む中心の日を「春分の日」、「秋分の日」と呼ぶ。
その「春分の日」や「秋分の日」は仏教で法要を行うお彼岸にあたる。お彼岸は僕たちが生きている「此岸(この世)」に対し「彼岸(向こう岸にある極楽浄土)」を意味しており、この日は太陽が真東から登り真西に沈む。浄土は真西にあるとされ、昼(生)と夜(死)の時間の長さが逆転する日でもあり、浄土が最も近づく日と考えられている。この日に浄土に向かって拝むと功徳があると昔から信じられ、お彼岸にお墓参りに行く習慣ができたそうだ。
3月21日はあいにくの雨で、朝からWBC準決勝の日本対メキシコ戦が行われていたので道路は空いておりスムーズに墓参りができた。午前中に墓参りを終え、昼食を取ろうと近所の蕎麦屋に出掛けると、「侍ジャパン」の勝利に多くの客が祝杯を挙げ、ペッパーミルパフォーマンスをやっていた。
「ペッパーミル?蕎麦屋は石臼だろ…」
各地域の気象台が指定した桜の標本木に5輪以上の花が開花したことで、開花宣言は発表される。今年、桜の開花が最も早かったのは東京で、3月14日に靖国神社にある桜の標本木に4輪の花の開花が確認されたが、基準に達しなかったので開花宣言は見送られ、翌日、もう1輪開花したことで、気象庁は桜の開花宣言を発表した。(桜の開花宣言の小さな基準は一体何なんだろう。1輪じゃダメなの?)季節の周期は巡り、小さな変化がいずれ大きなうねりとなり1輪の桜の開花が一斉に各地に広がる。
歴史にも季節のように周期があるようで80年周期で大きなうねりを繰り返している。日本では1782年から1788年にかけて火山爆発などにより異常気象が発生し天明の大飢饉が発生。この飢饉が引き金で「百姓一揆」が起き社会が不安定になった。その約80年後の1868年に大政奉還により江戸時代から明治時代へと時代は移り、政治改革が進み西洋文化が広がった。また富国強兵に舵を切った日本は、日清、日露戦争へと突き進み、明治から約80年後の1945年に日本は太平洋戦争でアメリカに敗戦し終戦を迎える。その後、日本は平和な時代が続き経済は大きく成長した。
アメリカも同様に1776年にイギリスとの繋がりを断ち切り、新たな独立国家アメリカ合衆国になった。その約80年後の1861年に南北戦争が起き1865年に南北戦争は終結。その80年後にあたる1945年に太平洋戦争が終結した。
そして2025年に太平洋戦争終戦から80年を迎える。
それにしてもどうして約80年の周期で歴史は大きな転換点を迎えるのだろうか。それは人の寿命が約80年なので人がガラリと入れ替わるからだろう。生きる人がすっかり入れ替われば、時代背景が異なり以前とは全く違う価値観を持つ人で社会は構成され、歴史の新陳代謝が進む。現代は人の寿命が延びたことで歴史の周期はもう少し長くなるだろうが、歴史の周期は繰り替えされるだろう。この先の歴史はどのように変化するのだろうか。ひょっとすると、次の変化の引き金はコロナウィルスによる世界の分断とロシアによるウクライナ侵攻に起因するインフレなのかもしれない。
歴史の大きなうねりの中で人はまるで桜の花のように短い一生を終える。そして人の命は桜の花のように小さく輝く。2025年、どのような歴史が幕を開けるのだろうか。
そう言えば、最近、スーパーの売り場で卵が売ってないな…。