「DIE WITH ZERO」この本のタイトルを直訳すると「ゼロで死ぬ」となる。この本は今まで読んだ本の中でもとりわけ印象深いものだった。
アリとキリギリスのイソップ童話を知らない人はいないだろう。夏の間、勤勉なアリは冬の食糧を蓄えるためにせっせと働く。一方、気楽なキリギリスは毎日自由に楽しく過ごす。やがて冬が到来する。冬のためにせっせと働いて準備をしてきたアリは生き残ることができたが、遊び惚けていたキリギリスは寒い冬に食べ物が無く飢え死にしてしまう。この物語はアリのように勤勉に働くことが大切だと教えてくれている。
ところでアリの結末はどうだったのだろうか。アリは短い一生をただ奴隷のように働き死んでいったのだろうか…。この本の前書きはこのような内容で始まる。
人は子供の頃から貯金をすることが大切だと教わり、社会に出るとその教えが身に付いており少しずつ貯金を始める。そして歳を重ねると老後が心配になり、さらに貯金に励み投資も始め老後に備える。やっと引退する年齢になり老後の楽しみに取っておいた夢を実現しようと考えるが、若い頃の様に体力はなく体も思うように動かない。さらに若い頃のような行動力や挑戦する気持ちはなくなり、結局、実現することはできない。その後、お金を使い切ることなく天国へ旅立ってしまう。
日本は70歳まで働くことを企業に責任義務とし、高齢になってからも働くことを推進しているが、70歳で引退してからでは実現できる夢は多くは残っていない。そうならないために高齢になるまでに働かずに済むよう若いうちから計画を立て、お金のための人生ではなく、体が元気なうちに多くのことを体験し充実感と満足感溢れる人生にするべきだろう。この本はイソップ物語に出てくるキリギリスやアリのような人生ではなく、キリギリスとアリの中間でバランスの良い素敵な人生を送ることを勧めている。
僕の周りに良い歳になっても金遣いが荒く夜な夜なはしご酒をして飲み歩いている連中もいる。彼らはキリギリスの一種なのだろうか。逆に良い歳になっても口癖のように「一生現役」と周りに仕事への情熱を熱く語り、現場で働くことに喜びを感じお金を貯め込むことが生き甲斐のような連中もいる。彼らはアリの一種なのだろうか。
お金が無くて飢え死にすることもお金のために生きて死ぬことも決して幸せとは言えない。たった一度の人生だから。
新型コロナウィルスの影響で経済は大きなダメージを受けているが、世界中で株価の上昇が続いている。各国の政府は新型コロナウィルスによる経済ダメージを抑えるため公的資金を注入し経済を下支えしており、そのことで市場には安心感が溢れ余裕資金が株式市場に流れ込んでいるようだ。
株価は1年先の経済を先取りすると言うが、現在の株高は果たして1年後の経済を見通しているのだろうか?株価と経済は本当に連動するのだろうか…。
新型コロナウィルスの影響で多くの方が在宅勤務により時間的に余裕が増え、また外出自粛により消費が減ったことで自由になるお金が多少増え、株式投資を始める人が増えているそうだ。そのため株価は押し上げられ証券会社は随分と業績が良いという。
「今、株を買えば必ず上がるよ」
「えっ、まだ株式投資してないの?」
「直ぐに証券会社に口座を作らなきゃ」
株式投資のリスクを理解せず、巷では今の株高に乗り遅れることへの不安が先行しており、バブル経済に沸いた平成初頭の頃によく似ている。当時は多くの人は株価が上がり過ぎているにもかかわらず株式投資を始め、多くの投資家が熱狂した。そして、ある日大きく膨れ上がったバブルは弾け多くの投資マネーは一瞬にして水泡に帰した。
「強気相場は悲観の中で生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、陶酔の中で消えていく」アメリカの投資家ジョン・テンプルトンはこう言い、スコットランドの作家チャールズマッケイは「人間は集団で狂乱に陥るが、理性を取り戻すときは一人ずつゆっくりだ」と言った。そしてビートたけしは日本人を「赤信号みんなで渡れば怖くない」と例えてギャグを言った。
世界的な株高はいつまで続くか誰にもわからないが、株式投資を一切口にしたことのなかった人が突然株式投資の話をするようになり、街中で株式投資の話が日常会話になった頃、バブルは弾けるだろう。
来月3月11日で東日本大震災からちょうど10年になる。大津波が多くの人を飲み込み多くの犠牲者を出したが、今年はバブルが弾け多くの方の資産が大きな波に飲み込まれてしまう恐れがある。
2021年は熱狂することより冷静さが大切だ。
在宅でテレワークを始めて3週間が過ぎた。テレワークを始めた頃にもブログに書いたが、リビングから10歩ほどで仕事場なので通勤の手間や時間が省けストレスも感じない。また事務所で仕事をしていた頃は事務所で流すBGMにも気を遣っていたが、今はその日の気分や天気に合わせ好みの音楽を流しながら仕事をしている。若い頃は人並みに寂しがり屋だったが、年齢を重ねると多くの人と交わらずに一人気ままに過ごせる時間が心地良く感じるようになった。今はもっと早くから在宅でテレワークを行うべきだったとつくづく思うが、今までそんな発想が全く無かった。今までごく当たり前だった常識や価値観が一瞬にして180度変化してしまう。新型コロナウィルスによって大きなパラダイムシフトが起こった。
在宅でのテレワークが日常生活になると経済の流れが大きく変化する。毎朝、僕は仕事に出掛ける前に髭を剃り髪の毛を整えていたが、今は毎朝髭を剃ることは無くなり、仕事で出掛けない限り髪の毛を整えることも無くなった。近所には帽子を被って出掛けるのでボサボサ頭も全く気にならない。そして髭剃り用の剃刀や整髪料の消費は極端に減った。
また洋服に気を遣う必要はなく毎日家着で過ごすためクリーニングを利用することも無くなった。働いている女性がリモートワークになると、化粧をすることが極端に減るようだ。日本を代表する化粧品メーカーの資生堂が大きな打撃を受けていることが簡単に理解できる。先日、ある女性がこんなことを言っていた。
「最近外出する時は常にマスクを付けているので、マスクで隠れている部分は化粧をしないんですよ。だから目元だけの化粧で済むんです」
新型コロナウィルスの感染力が目からも感染するのであれば、皆ゴーグルをつけていたので目元も化粧することもなかったのかもしれない。
テレワークになり消費が増えたものもある。その代表格が光熱費と食費だろう。自宅が仕事場になったことで家ではエアコンを今まで以上に利用することになり、ランチも自宅で取るようになったので、自宅で昼食の食材を用意することになった。また最近、CMでよく目にする食事のデリバリーも今では多くの方が利用しているようで、自転車でデリバリーをする方を見ない日は無くなった。
パラダイムシフトはゆっくりと進行するものではなく、ある事柄が引き金になり一瞬で起こるようだ。これからの時代は今までの成功モデルが突然通用しなくなる時代になることを念頭におき、経営者は常に仮説を立て、A、B、Cと複数のプランを用意し経営に当たることが必要だ。