義理の叔母が飼っているミニチュアダックスの雄で18歳になる大五郎が息を引き取った。
大五郎は少し体が小さく気が弱かったので、大きく逞しくなってほしいと願いを込めて僕が名付けた。叔母が僕の家に遊びに来るたびに大五郎を連れて来て、僕が出掛ける時など以前飼っていたQ太郎を預かってもらった。大五郎はQ太郎のひとつ年下だったのでQ太郎と師弟関係ができていたようで、Q太郎の後ろをいつも従って歩き、餌やおやつを二匹にあげると大五郎はQ太郎に先を譲っていた。
先日、大五郎が随分弱っていると聞き大五郎に会いに出掛けた。大五郎は片目が見えておらず随分痩せ細り、水も食事も3日も取っていないと言うので、僕がシリンジで水を与えると少し飲んだが流動食は食べなかった。僕は弱った大五郎に声を掛けた。
「あんまり頑張らんでいいけん、残りをゆっくり過ごすとよ」
僕は自宅に戻りQ太郎の骨壺に向かってお願いした。
「大五郎が苦しまずに穏やかに天国に行けるようQ太郎守ってやってね」
翌日に叔母からスマホにメールが届いた。
「昨日はありがとう。さっき安らかに大ちゃんはQちゃんのもとに行きました!」
叔母に連絡すると、大五郎は叔母に抱かれたまま安らかに息を引き取ったそうだ。
叔母は子供も独立し大五郎と暮らしており、随分大五郎を可愛がっていた。
以前、大雨で叔母の自宅近くの川が氾濫し、叔母の自宅が浸水したことがある。当時、出掛けていた叔母はその知らせを聞き、直ぐに大五郎を助けるために急いで自宅に戻った。
昼過ぎから降り出した強い雨は夜になっても止む気配はなく氾濫した川の水はどんどん増えていき、自宅に戻る道では消防隊が叔母の自宅のある地域を封鎖し立ち入り禁止にしていた。それでも叔母は止める消防隊を押し切り、胸まで水に浸かりながら必死に自宅を目指した。自宅に近づくと大五郎の声が聞こえてきたそうで安心したそうだ。
何とか自宅に辿り着き真っ暗の自宅に入ると、ずぶ濡れになった大五郎は下駄箱の上に登り足まで水に浸かりながら叔母を見て尻尾を振ったそうだ。叔母は直ぐに大五郎を抱きかかえ、消防隊のいる場所まで引き返し大五郎は九死に一生を得た。大五郎と叔母は強い絆で結ばれていたようで、これから叔母が寂しくなると思うと胸が痛い。
大五郎は天国でQ太郎に再会し、大五郎はQ太郎の後ろを追いかけ二匹で走り回っているだろう。
written by ゴンザレス
広告業界に長く身を置いているが昔より広告が効かなくなったように思う。今は物余りの時代で消費者は個々の生活や趣向に合わせ商品を購入しサービスを利用する時代だ。またネットが普及しあらゆる情報を簡単に入手することができ、さらに世界にネットを通じて情報を発信することもできる。しかも消費者は以前より随分賢くなり広告に惑わされることは少なくなった。
以前、通販業界で一人のお客さんを獲得する広告費用は1万円程度と言われていたが、今では2万円を超えるそうで採算が取れなくなってきており、テレビの長尺CM(インフォマーシャル)の枠は売れ残り、その枠を買い切っている広告会社はセールスに苦労していると言う。今は大きな費用の掛かるテレビや新聞などを利用せずネットを上手に利用することで、個人でも商品を販売することができるので、無理して大きな数字を追いかけずにお客様と正しく向き合い親切に商売することで、その対応がSNSで拡散され話題になり商品はさらに売れ好循環を作り出す。
以前、仕事で文字校正などに使っているドイツ製のルーペのLEDライトが付かなくなり、電池切れと思い電池を交換しても明かりは付かなかいので、メーカーにメールで問い合わせると、ルーペを着払いで送って下さいと返信があった。ルーペを送ると無償で修理をしてくれたうえ、新しい電池まで添えて返送してくれた。そして手紙が添えられていた。
「当社の製品をお使い頂き誠にありがとうございます。また不具合などありましたら遠慮なくご連絡くださいませ」
まさに神対応!
また先日、JTの加熱式タバコのプルームテックを自宅の用を足した後の便器に落としてしまった。僕は渋々直ぐに拾い上げ分解し洗剤で洗い一日ほど乾かすと、また使えるようになったが、その後、プルームテックのランプが虹色で高速に点滅し、ついに吸引することができなくなった。
そこでプルームテックのショップに持ち込むと、使用方法に問題がなかったか問いただされることもなく、故障したことを謝罪され直ぐに新品と交換してくれた。
まさに神対応!
僕は不注意で便器の中に落としてしまったと言えなかった(笑)
拡大路線に舵を切らず、ちゃんとお客さんと向き合ってしっかり対応する企業はお客さんに愛され広告をしなくても口コミで世界に拡散され自ずと良い結果が付いてくる。
これからの時代に広告は本当に必要なのだろうか?
written by ジェイク
ついこの間までおせちを摘まんで雑煮を食べていたが、あっと言う間に1月も半分が過ぎ、これから一段と寒さが厳しくなる時期だが、今年は暖冬で北海道や東北では雪が少なくスキー場は頭を抱えていると言う。冬好きな僕にとっては何とも悲しい話だ。
世界では地球温暖化を懸念する声が高まり、若者を中心に温暖化を食い止めようとする動きが広がっている。今、地球規模で起きている気候に目を向けると温暖化が進行しているように感じるが、ひょっとすると地球温暖化を唱えることで誰かが環境ビジネスなどで儲かろうとしているのではないかと多少勘ぐってしまう…。
生活が便利で豊かになっていくと、逆に地球に悪影響を及ぼしてしまうので、もう少し不便な生活でも良いのではないだろうか。しかし一度手に入れた便利で豊かな生活を手放すことはできるのだろうか…。
僕が子供の頃は今のように生活は豊かではなく特に冬場は大変だった。当時は灯油ストーブと電気ストーブが主流で、部屋全体を暖めるには随分と時間が掛りストーブの前から離れることができず、ストーブの前で服も着替えていた。当時は加湿器など必要なく灯油のストーブの上にやかんを置き、やかんからうっすらと出る蒸気で部屋の空気は潤っていた。僕が小学校に入ってしばらくするとエアコンが我が家に取り付けられた。しかし当時はエアコンが高額だったため家族の集まるリビングにだけに取り付けられた。僕はエアコンから出る温風に驚いたことを今でも覚えている。
トイレのウォシュレットなんてこの世にまだ存在せず、冬場は便座が冷たかったので便座にカバーを付けていたが、便座カバーを付けていてもお尻は冷たかった。
風呂も自動でお湯を張ることはできず、一旦、風呂に水を貯め風呂を沸かすためのガス湯沸かし器でお湯を沸かしたが、お湯が沸くまで随分と時間が掛かかった。しかも風呂のガスの湯沸かし器にはタイマーはなく風呂を沸かす時間を気にしておかないと、いつの間にか熱湯になってしまう。風呂当番だった僕は何度も風呂を沸騰させ親父に怒鳴られた。
当然、その時代には台所や洗面所の蛇口からお湯は出なかったので、寒い冬の朝に顔を洗う時には強い意志と勇気が必要だった。そして外出時には白金カイロと呼ばれるカイロを使用し毎日ベンジンを入れ発熱するカイロを身に付け学校に通った。今の時代は多くの物が使い捨ての時代でカイロも使い捨てだ。
当時の生活は今ほど便利で豊かではなく冬はとにかく寒かった。しかし今の時代よりも世の中には温もりが溢れていたように思える。
便利や豊かさを追求するだけではなく地球と共存していかなければならないが、今の便利で豊かな生活から、あの頃の生活に逆戻りすることは果たしてできるのだろうか?
written by キムジー