早いもので、後10日もすると2019年は過ぎて行く。今年、7月に19年一緒に暮らした愛犬Q太郎を亡くし、しばらくの間途方に暮れた。今、Q太郎は小さな骨壺に納まり、いつも僕を見守ってくれている。そして10月にQ太郎の生まれ変わりのQ次郎と出会った。Q次郎はやんちゃで気が強く、悪戯をして僕に叱られても悲しい顔ひとつせずケロッとしてポジティブなので感心してしまう。僕も来年はQ次郎を見習いポジティブな一年にしようと考えている。
来週の金曜日から冬休みに入るので、本日のブログ更新が今年最後となる。それでは年初に掲げた今年の目標が達成できたのか採点してみよう。
目標1.「今年こそ人間ドックに行く」
⇒0点。秋に人間ドックに行くつもりだったが、入院を繰り返し弱っていく親父を見ていると、色々考えさせられる。病気を早期発見し治療をして長生きしても、誰もが年齢には勝てず弱っていく。ひょっとすると医者に手遅れだと言われ、覚悟を決めて残された時間を充実して過ごした方が良いのではないのだろうか。今はまだ答えが出ていない。
目標2.「旅に出る」
⇒50点。今年も国内出張とカンボジアのボランティアに出掛け、例年とあまり変わりなかったが、冥途の土産にと両親を温泉に連れて行った。両親はとにかく大喜びだった。温泉の帰りに親父は入院することに。
目標3.「リバランスを行う」
⇒100点。投資の基本のポートフォリオは一切変更せず、ひたすら真っ直ぐに長期投資を行っている。今のところ当初組んだポートフォリオの比率が大きく壊れてないので、リバランスは行っていない。しっかりリバランスルールを作り運用している。
目標4.「英会話のスキルを上げる」
⇒30点。Q太郎が亡くなってから英会話を休学している。甥っ子が大学の英語学科に合格したので、海外に行く時は連れて行って通訳してもらえばいいか。
目標5.「髪を増やす」
⇒-20点。今年も髪の毛が抜け昨年より髪の毛が減り、夏場のカンカン照りで頭皮が熱く感じるようになった。しかしこの歳まで髪の毛があるので良しとするか。
年初に掲げた目標を全てクリアすることは大変だ。今年の採点結果も昨年同様、全く振るわなかった。来年は大きな目標ではなく小さな目標を掲げ、年末の採点で満点を取り自分を褒めてあげることにしよう(笑)
皆さん、今年も大変お世話になりました。それでは良いお年をお迎えください。
written by マックス
愛犬Q次郎は先週末、初めて散歩に出掛け地面に立った。Q次郎にとっては人類が初めて月面着陸し月に立った時のようなインパクトで、目の前に広がる世界に驚いただろう。
Q次郎をそっと地面に下ろすと、緊張した面持ちで直ぐに伏せた。リードを軽く引っ張っても立ち上がらず、リードを強く引くとQ次郎は伏せた状態で引きずられる。
「Q!怖くないけん、さぁ、行くよ!」
僕がしゃがんでQ次郎に声を掛け手招きすると、Q次郎は匍匐前進で50センチほど進む。何度もこの動作を繰り返すし、やっとQ次郎は地面に立った。
そこに自転車がベルを鳴らしながら走って行ったので、Q次郎は驚いてまた伏せてしまった。Q次郎は初めて見たる自転車をどう思ったのだろう。
「な、な、なんだーあれは…」
次に人が歩いて近づいて来たのでQ次郎は座ってその人に思いきり尻尾を振った。しかしその人はQ次郎を無視して通り過ぎて行った。
Q次郎は僕の友人など数人に会っており、皆、Q次郎に声を掛け頭を撫でてくれるのだが、今通り過ぎた人はQ次郎を無視して通り過ぎて行ったので拍子抜けしている。
「あの人、無視しとる…。何で優しく声をかけて頭を撫でてくれんとかいな?」
そうしていると、後ろからスーツケースをゴロゴロと引いてくるカップルが近づいて来る。Q次郎はその音が気になるようで、歩きながら何度も振り返り立ち止る。
徐々にスーツケースを引いたカップルが迫って来て、スーツケースの車輪の音は大きくなり僕等を追い抜いて行く。
Q次郎はまたその場に伏せてしまった。Q次郎はスーツケースが何か動物に見え、主人と散歩しているように思ったのだろうか(笑)
しばらくすると、遠くからハーレーだろうか、大きなバイクの音が近づいて来る。Q次郎は僕の足元に擦り寄ってきて僕の足に飛び付き抱っこをせがむ。
Q次郎を抱っこするとバイクが轟音を響かせ横を通り過ぎて行った。
Q次郎は僕にしがみ付き、顔が引きつっていた。
「…」
その日はQ次郎が散歩に馴れることが目的だったので30分ほどで自宅に戻った。部屋に戻るとQ次郎は安心して部屋中を足り回っていた。
「お前は内弁慶やなぁ~」
(ちなみに内弁慶のQ次郎は、先日、「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」が配給する映画のオープニングで、ライオンが出て吠える声に飛び上がって驚いていた)
Q次郎の冒険は始まったばかりでまだ他の動物や昆虫などに出会っておらず、海も川も見たことがない。
これから初めてのものを見た時のQ次郎のリアクションが楽しみだ。
written by ゴンザレス
冬の風物詩である福岡国際マラソンが行われ、福岡の最低気温は連日10度を下回り冬の訪れを肌で感じるようになった。
先週末、肺炎で入院している親父を親父の兄弟(僕の叔父叔母)が見舞いに来てくれたので、昼食を一緒に取ることに。叔父と叔母と会うのは久しぶりだったので、随分と賑やかな昼食になった。その席で叔父と叔母がNHKの番組「ファミリーヒストリー」のように曽祖父の頃からのうちの歴史を話してくれた。
僕の祖先は元々関東出身で曽祖父は神奈川で暮らしており、中山道の宿場町で宿場を営んでいたが、実際はやくざで博打の元締めだったらしく国定忠治とも縁があったと言う。(ホンマかいな?)
その後、曽祖父は博打で大きな借金をつくり命を狙われたが、曾祖母が啖呵を切って丸く収めたそうだ。(まるで極道の妻やんか)
そして曽祖父はやくざから足を洗い朝鮮に渡り果樹園を経営し、成功して大きな財産を築いたが、日本が敗戦したことでその全ての財産は朝鮮人に没収されたそうだ。もし日本が敗戦していなければ、うちは今でも大金持ちだったと叔父は笑っていた。そして曽祖父が亡くなり、曽祖父の遺体を見ると17か所も刺された傷があったと言う。(まるで串刺しやんか。それだけ刺されると怖いもんないやろうなぁ)
曽祖父がやくざだったので家にはいつも柄の悪い連中が出入りしており、祖父はやくざになりたくないと15歳で家を飛び出し、国鉄に入社し祖母と出会い結婚した。その後、祖父は転勤で朝鮮に渡りそこで終戦を迎えた。しかし終戦間際にロシア軍が朝鮮に侵攻してきたそうで、捕まるとロシアに抑留されると聞き、家族全員、命からがら38度線を越え、引き揚げ船に乗り込み九州の門司に辿り着いた。そして祖父母は朝鮮から引き上げ時に身寄りのない子を引き取り、その子と実の子4人、それに祖父母を合わせ7人家族で中津に移り祖父は国鉄職員に復帰し定年まで務めた。
僕の親父は子供の頃から文武両道で、中津の町から初めて東大に進学できる子供がいると評判になったそうだが、逆に叔父は曽祖父の血を引いたのか、随分グレていたそうでギャンブル三昧の毎日だったそうだ。昔の名残か、80歳になる叔父は今も毎日のように夫婦でパチンコに出掛けているそうだ(ギャンブル依存症は抜けれんな~笑)
戦争後で5人も子供がおり生活は楽ではなかったそうで、親父は兄弟のために大学進学を諦め、高校卒業後は新聞社に就職した。当時、日活で俳優の募集があったそうで、叔父がこっそり親父の写真を日活に送ると、何と親父は俳優に合格したそうだ。後にそのことを知った親父は勝手なことをした叔父に随分怒ったそうだ。
新聞社に就職した親父は激務とストレスからか胃潰瘍になり入院することに。そこで看護婦で働いていたお袋と出会い結婚し、目出度く僕が生まれた。(おぎゃー!!)
叔父と叔母の話す「ファミリーヒストリー」は江戸時代から続くもので、歴史が大きく動いていた激動の時代を皆、逞しく生きたようだ。
今年も残り僅かだが親父は新年を迎えようと病と闘っている。親父の人生が来年に繋がり、親父の歴史の幕が下りないことを祈っている。
written by 彦之丞