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2018年06月08日

先日、ある人からお金を貸してほしいと相談を受けた。この人からお金の相談を受けたのは2度目だが、僕は2度とも引き受けなかった。お金の相談が失礼にもメールだったことや、時間的余裕が全くなかったからだ。その人はお金が一番大切じゃなく、多くの人を喜ばせ大切にし、何よりも誠実さが大切だとよく口にしていたが、言動が伴っていないように思えた。背に腹は代えられないのが人間の性分なのだろうか。

お金は全てではないことぐらい僕も知っているが、お金がないと自由が利かない。お金は物や時間そしてサービスと交換するための道具で、お金があることで選択の自由が広がる。
数人、大金持ちを知っているが、中には暴力団に誘拐され監禁され、そのため自宅の警備を万全に整え番犬を数匹飼っているという。彼らは選択の自由はあっても、ビクビクしながら窮屈に生活しているようだ。
また大金持ちはとにかくケチでせこく、他人のことより何よりも自分のことが大切のように思える。大金持ちは本当に幸せなのだろうか。車のCMではないが、「最高にちょうど良い生活」ができれば良いのではないだろうか。

僕の「最高にちょうど良い生活」をイメージしてみた。
自宅は職場への通勤にストレスを感じることがなく、しかも程よい運動になるくらいの距離にあり、掃除に苦痛を感じない広さがちょうど良い。また食事は週に一度ほど外食に出掛けることができれば十分で、衣類は毎年、夏と冬に一着ほど買い足すことができれば良いだろう。車はできれば新車が気持ち良いが、中古でも問題ない。(僕は車にこだわりがあるので、どの車でも良いわけではない)そして年に2度ほど国内旅行に出掛け、年に1度、海外旅行に出掛けることができれば、なお良いだろう。

この『最高にちょうど良い生活』は僕がイメージしたもので、人それぞれ「最高にちょうど良い生活」は異なる。「最高にちょうど良い生活」はきっと金銭的なものよりも、毎日が十分に満たされていれば実現できるものではないだろうか。上を見ればきりがないし、下を見てもきりがない。
皆さん「最高にちょうど良い生活」を!

written by ゴンザレス

2018年06月01日

父の手術が終わり執刀医から説明を受けた。
父の手術は脳の周りに溜まった髄液を取り除く手術だったが、取り除いた髄液に血液が混ざっていたそうで、執刀医からは硬膜下血腫だったと説明された。執刀した脳神経外科の医者は非常にクールで、どことなくブラックジャックのように感じられた。
父は入院する一週間前に僕と温泉に出掛け、自分で体を洗い風呂に入れるほど元気だったが、その3日ほど後に庭で転んで頭を打ち、その影響での脳を包む硬膜と脳の表面の間に血液が溜まったことが考えられるという。
手術前のMRIの検査で頭の断面図を見ても脳に溜まった液体が髄液か、それとも血液なのか、判断することはできないが主治医は髄液と考えていた。僕は高齢の父に手術を受けさせることに多少抵抗はあったが、結局、手術後に硬膜下血種だったと判明したので、手術を受けることがベストな選択だった。

手術前、耳の遠い父は主治医から手術の説明を受けている時に上手く内容を聞き取れなかったようで、主治医とのカンファレンスの後、僕が大きな声で父に説明した。話を理解した父は手術を受けることに否定的だった。
「何で手術ばせにゃならんのか?お前ら他人事やな~」
手術当日も父は納得できない顔で、不安そうに手術室に入って行った。

手術が終わり僕は父の手を握り、
「よく頑張ったな。無事に終わったよ!」
そう父の耳元で話しかけると、麻酔で意識が朦朧とする父は小さく頷いた。きっと父は朦朧とする頭の中で、手術を受けたことに納得していないだろう。

手術後、執刀医から今回は左脳側の髄液を取り除いたので、ひょっとすると右脳に圧が掛り障害の出る恐れがあるので、場合によっては右脳側も手術し溜まった髄液を取り除かなければならないかもしれないと言った。
これから回復に向かう父に僕はどう話そうか悩んでいる、きっと父は次の手術は猛烈に反対するだろう。
「また手術?いい加減にそっとしてくれ。もう手術は嫌だ!」
僕は気が重い。

written by マックス

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