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2017年01月27日

先日、ある宴席でゼロ戦の技術の高さが話題となった。僕は飛行機が好きで、以前は戦記にのめり込みゼロ戦などの本を随分読んだので、その話題に盛り上がった。

「飛行機って夢があるちゃんね~。色んな想いを乗せて、障害物が一斉ない青い大空を飛ぶっちゃけん!」
僕がそう言うと、その席に参加していた元CAの女性が僕にこう言った。
「亡くなった主人が大切にしていた戦闘機の操縦桿をもらってくれませんか?」
「…」

僕は一瞬、固まった。
彼女のご主人は一昨年、仕事中に突然倒れ急逝してしまった。ご主人は以前航空自衛隊に入隊しており、その後、民間航空会社の整備士になり仕事の途中に倒れたそうだ。戦闘機の操縦桿はご主人が航空自衛隊を辞める際に、自衛隊の仲間から記念品としてもらい大切にしていたそうだ。
彼女はご主人を亡くし子供はいないので、興味のない戦闘機の操縦桿を、持っていても仕方ないと、どなたか喜ばれる方に引き取ってもらおうと思っていたそうだ。

「ご主人が大切にしていた物をもらえませんよ。興味がないのであれば、どこかの博物館に寄贈したほうがいいですよ!」

僕は断るが、彼女はあなたにはお世話になっているし飛行機が好きなのであればと、譲らない。僕は話題を変えその場をはぐらかした。

後日、僕が外出から事務所に戻ると、僕の机に戦闘機の操縦桿と水平器が置かれていた。スタッフに尋ねると、先日の女性が持ってきて置いて帰ったそうだ。その操縦桿は戦闘機F86の本物の操縦桿で、機銃やミサイルのスイッチが付いており、どっしりとしたステンレス製の台座に据え付けられていた。僕は彼女が新たな人生を進みたいのだと思い、一旦事務所に飾ることしした。

その操縦桿や水平位置指示器を見ていると、子供の頃から空に憧れ亡くなったご主人の想いを感じた。ひょっとすると彼は仕事などで辛いとき、当時の仲間に貰ったF86の操縦桿を握り、自分と戦っていたのかもしれない。そして人生を安定飛行するために水平器を見ながら、自分の夢に向かって飛んでいたのかもしれない。
F86の操縦桿を握った。心が熱くなった。

「やはりお返ししよう…」

written by ベルハルト

2017年01月20日

年が明け宴会が続いている。今週も東京の親しい取引先の先輩が来福し宴会となった。彼は酒豪で宴会では「イッキ飲み」を推奨する。彼一人が自らイッキ飲みをするのであれば良いのだが、宴会に参加している者にもイッキ飲みを勧めるので、厄介な人物なのだ。宴会の参加者の平均年齢は40代後半なので、若い頃と違いイッキ飲みは肉体的にも精神的にもダメージが大きい。
そこで僕は、

「イッキ飲み根絶!!」、「イッキ飲み撲滅!!」、「イッキ飲み断固反対!!」

の言葉をプリントしたハチマキを制作し宴会に参加した。

宴会は順調に盛り上がりビールから日本酒へと移り、先輩の心にイッキ飲みの火が付いた。そして彼が率先してイッキ飲みを始めようとしたその瞬間、僕は用意していたハチマキを周りの参加者に配った。
「それでは今から私がイッキしま~す!」
と先輩がグラスを手に持つと、周りは直ぐにそのハチマキを頭に締め、イッキ飲み反対を訴えた。そのハチマキを見て彼は一瞬怯んだが、彼は妥協することなくイッキ飲みを始めた。

一軒目ではハチマキがあったお陰で、先輩は周りにイッキ飲みを勧めることは無く、犠牲者はでなかった。しかし2軒目では酒の勢いもあり、彼は部下にイッキ飲みを勧め、部下は「イッキ飲み根絶!!」と書いたハチマキを頭に締めたままイッキ飲みをし、ついにダウンして眠ってしまった。

さらに3軒目では先輩はそのハチマキを気に入ったようで、周りの人の目を全く気にすることなく、そのハチマキを頭に締め野獣のようにイッキ飲みをしていた。そして全く別の客にまで酒を勧める始末。今ではイッキ飲みは社会的に問題になりそうだが、僕らの世代では宴席でのひとつの文化だ。その後、宴席も終わり皆無事に帰宅した。

もし、そのハチマキをしたまま路上で潰れている姿を通行人が見ると、イッキ飲みを拒絶し断固反対したにもかかわらず、結局イッキ飲みを勧められ、潰れて眠ってしまったと思うだろう。
なかなか微笑ましい光景だ。

written by ゴンザレス

2017年01月13日

昨年、東京出張の際に、気に入っていたジャケットを汚してしまった。その日はテレビ番組収録の立会いで都内のボウリング場に出掛けて、どうやらボウリング場のボウルに付いていたグロースのような真っ黒い油汚れが付着したようだ。
汚れは5百円玉より少し大きいサイズで、ジャケットの肘の辺りに付着しており、ティッシュを水に濡らし軽く拭いてみたが、落ちることはなく逆に広がった。
その夜、ホテルに戻ると直ぐにホテルのフロントで汚れを見せ、クリーニングに出してもらった。そのホテルは名の通った一流ホテルなので、汚れは落ちるだろうと期待した。

翌日、ホテルのフロントで仕上がったジャケットを受け取った。
「お客さま、最善を尽くし強い薬剤で汚れを落とす作業をしましたが、これ以上の作業をしますと、ジャケットの生地が痛む恐れがあるので、これ以上の作業はできませんでした」
そう言われジャケットを見ると、汚れは多少薄くはなっていたもののほとんど落ちておらず、僕はがっかりしながら結構な代金を支払った。
福岡に戻りそのジャケットを捨てようかと迷ったが、もう一度染み抜きのできるクリーニング店に出そうとネットで店を探し、あるクリーニング店にジャケットを持ち込んだ。

その店は、お客さんが多く店は繁盛しており、感じの良い数名の女性スタッフが受付をしていた。女性スタッフは僕のジャケットを見ながら、いつ汚れたのか、何が付いたのかと、色々質問し、僕の返事をカルテのような用紙に記入している。汚れた当日にホテルでクリーニングに出したが、汚れが取れなかったことも伝えた。そして彼女は作業スタッフに汚れを見せてくると言い、店の奥にジャケットを持って行き、数分後に戻ってきた。
「この汚れは落ちるようです。お急ぎで無ければ10日ほどお時間をいただきたいのですが?」
僕は頷き、ジャケットを預け伝票を受け取った。これで汚れが落ちなかったら諦めてそのジャケットを処分しようと思った。

2週間ほど過ぎ、覚えの無い電話番号から着信があり、電話に出るとジャケットを出したクリーニング店の女性からで、染み抜きが完了したと言う。翌日、ジャケットを受け取りにクリーニング店に向かった。
「多少、変色したように見えますがいかがですか?」
と言いながら女性スタッフは僕にジャケットを見せてくれた。
「うわ~、落ちてる。凄い!」
汚れは完璧に落ちており、僕は心から感心してしまった。
店の奥から自信に満ち溢れた店のご主人が出てきて、僕に言った。
「シミの98%は取れるんです。殆どのクリーニング店ではシミや汚れを取る研究や工夫をしないんですよ。同業者もお客さんから預かったもので、汚れが落ちずに困ったら、うちに持ち込んで来るんですよ」
支払いを済ませお礼を言って僕は店を出た。ちなみに代金は東京の一流ホテルのクリーニング代の10分の1ほどの金額だった。

プロとは日々研究を重ね、腕を磨き、必ずお客さんの望みを必ず叶えることのできる人を指すのだろう。どんな職業でもその道のプロを目指さなくてはならない。

written by ベルハルト

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