脳の片隅に追いやられている記憶がふとしたことで目を覚ますことがある。梅雨空を見上げた時に、苦しかった頃の記憶が目を覚ました。その記憶は梅雨の時期のものではなかったが苦い記憶だったので、どんよりとした曇り空を見て目を覚ましたのだろう。
記憶を呼び覚ますものは視覚からだけではなく、聴覚や嗅覚、更には味覚、触覚と五感の全ての感覚からの情報で呼び覚ますことができる。ある音楽を聴くと必ず思い出す風景がある。町ですれ違った女性の髪から流れきたシャンプーの香りから、大学の教室を思い出したこともある。そしてジェリービーンズを食べると必ず思い出す記憶がある…。そして、ひんやりしたタオルケットを触った瞬間に、子供の頃にエアコンの利いた部屋を思い出す。当時は今のようにエアコンが普及しておらず、我が家に初めてきたクーラーは家族で寝ていた部屋だけに設置されていた。
先日、行きつけの床屋で顔を剃ってもらっているときチクリとした。剃刀がほんの少し僕の顔を傷つけた。たまにある床屋さんのちょっとした失敗。そのことである記憶が目を覚ました。子供の頃、ピアノの発表会の前夜にこっそり父の真似をしてT字の剃刀で鼻の下の産毛を剃ったことがある。初めてのことだったので見様見真似で剃刀を顔で滑らせた。結局、翌日の発表会には鼻の下に絆創膏を貼って出ることになった。
広告の世界は記憶されることを目的に視覚と聴覚の2つの感覚に情報を発信している。しかし3つの感覚がまだ残されており、この領域での広告手法は未だ確立されていない。
ハッとした!そう言えば犬は良く鼻を使って匂っている!犬を観察してアイデアを絞ってみよう。そう思った。
written by ダニエル
東京から大切なお取引先の方が久しぶりに来福され、昼下がりの時間から一杯やることになり、行きつけの老舗料亭へ。部屋に通され障子を開けると縁側があり、そこから緑に覆われた庭が見える。その奥に光で水面が煌く川が流れている。都会の喧騒を忘れさせる福岡を代表する名料亭だ。料亭を利用する多くのお客さんは懐石料理のコースを頂くのだが、中途半端な時間だとコースを頼まずにお任せの一品料理で一杯やれるところが気に入っている。
窓から五月の心地良い風を感じながら3人には広すぎる畳の間で、酒の肴を摘みながら裃を脱いでゆっくりと一杯やる。まさに至福の時間だ。時間が経過するごとに仕事に厳しい顔が穏やかな顔に戻っていく。そして酒が進むと少しずつ声も大きくなり会話が盛り上がる。20年近く付き合っているにも関わらず良く話が尽きないものだ。頃合を見て料亭の女将が部屋に挨拶に来て、また場が盛り上がる。
現代はパソコンや通信機器が進歩し仕事の処理速度は以前に比べ随分早くなった。また食事のスタイルも随分変化(進化?)している。町にはコンビニやファーストフード店がひしめき合い食事の時間帯は多くの人がレジに並ぶ。要するに生活の速度が以前より増しているのである。そんなに生活の速度を上げて人間はどこへ向かっているのだろうか?ふと、そう思った。
きっと生活の速度が増すことで現代人は多くのものを見過ごしてしまい、新しいアイデアやヒントを発見することはできなくなっているのだろう。それより季節や自然を感じ、旬の味覚を味わいながら、裃を脱いで人と触れ合う。そして人間の持つ全ての感覚(五感)を刺激するほうが多くのものが見えてくるし、遥かにアイデアやヒントは生まれてくるだろう。
五感を刺激しないとその先にある第六感は養うことはできないはずだから。
written by マックス
撮影で仙台に出かけた。風は強かったが天気も良くロケのコンディションは良好。翌日の撮影本番に向けてロケ地を選ぶためロケハンを開始した。ロケの候補地は松島だったのでそこを中心にロケ地を探していたが、納得できる場所が見つからず松島から少し足を伸ばしてみた。
突然、広大な更地が広がり遠くに葉が抜け落ちた松が数本立っている。周りを見渡すと海水によってできたものだろうか、まるで湿原地のように所々に水面が広がり、その傍に壁が抜けた家が複数見える。そこは津波に襲われた土地だった。2年前にテレビなどで生々しく報道されていた頃と何も変わらないように感じられた。
『TSUNAMI』世界共通語になった日本語のひとつだ。この言葉が世界で使われるようになるほど過去に何度も日本を津波が襲った。過去に幾度も津波を体験しているにも関わらず今回の震災で多くの犠牲者が出た。過去の経験から防ぎようはなかったのだろうか。「震災は忘れた頃にやってくる」そう言われるが、この未曾有の震災を人はいずれまた忘れてしまうだろうか…。
それぞれの人間が過去に何らかの辛い経験を持っている。僕も震災で受けた辛い経験とは比較にならないが、辛く苦い経験は多少持っている。しかしその辛い経験は長い年月を経て徐々に浄化されていく。浄化することで人はそこに留まらず未来を生きていけるのかもしれない。しかし心のどこかにしっかりと記憶し未来を生きていくための教訓にしないと、また辛い経験を繰り返してしまうことになる。
翌日、無事にロケが終了し帰路についた。帰りの飛行機は窓側だったので離陸時から外を眺めていた。飛行機が高度を上げると遠くに被災した大地が広がっていた。また笑顔溢れる土地に戻って欲しいと願っている。そして、いずれまた大震災が日本を襲ったとしても犠牲者がひとりも出ないことを祈っている。
written by マックス