先週、満開になった桜の花は早くもフィナーレを迎え、桜吹雪で今年も見納めになる。桜の花びらが宙を舞う光景は美しく潔さを感じ、どこか切ない。そんな桜に日本人は昔から想いを寄せてきた。
親父は3年ほど前から誤嚥により肺炎を繰り返し3年ほど前から入院している。新型コロナウィルスの影響で病院の面会は週に1度で面会時間は10分、面会できる人数は3人までと厳しく制限され、今もその制限は解除されていない。
先週の土曜の夜、風呂から上がり冷えたビールを飲み鍋をつつこうと箸を伸ばすと、携帯電話が鳴った。電話の相手は親父が入院している病院の院長からだった。
「息子さんですか?」
「はい。こんな時間にどうされました?」
「お父さんの容体が良くないので電話しました。数日前に肺炎になり熱を出して危篤に近い状態で、持っても明日くらいまででしょう。今から面会に来られますか?」
「えっ!直ぐに行きます。面会時間は今日も10分なんですか?」
「容体が容体だけにもう少し長く面会されても良いですよ」
「わかりました」
電話を切りお袋を連れ直ぐに病院に向かった。病室に入ると、親父は静かに目を閉じており胸には心電図のパッドが貼られ、酸素吸入器と点滴が施されている。最近は面会に出掛けても親父は眠っていることが多く声を掛けても殆ど反応がなかった。親父は昼と夜が逆転しているそうで、夕方に声を掛けると言葉を返してくれることがあると看護婦さんは言う。
僕が大きな声で親父に声を掛けると、親父は目を大きく開け僕の言葉がまるで信じられないような顔をした。
「親父!先生から電話があって親父が危ないって言うけん、飛んで来たばい!」
「は~!?」(マジや?)
「親父!今年の誕生日まで頑張るってお袋と約束しとるんやろ?もう少し頑張らんね!」
「あ~!」(分かっとる!)
側にいた看護婦さんが会話を聞き驚いてこう言った。
「強い叱咤激励ですね!」
明日も面会が可能か看護婦さんに尋ねると、状態の悪い患者さんの面会については院長先生から許可が出ているそうで、明日もまた見舞いに来ることを親父に伝え病室を出た。
「親父は厳格で約束ば守る人やけん、もう少し頑張るよ!」
家に戻り食事を取りながらお袋にこう言うと、お袋は腹を括ったようで静かに頷いた。
親父の命の花は桜の花のように直ぐには散らず、今も持ちこたえて咲いている。
今週、福岡でも桜は満開になり明日から4月でいよいよ春本番だ。愛犬Q次郎は寒がりで越冬するため毛を伸ばしていたが、週末は伸びた毛をカットして風呂に入れてあげよう。昨年もこの時期にベランダでQ次郎の毛をカットしたが、無理な姿勢からギックリ腰になったので、今年は気を付けなければならない。また冬にQ次郎との散歩で着ていたダウンジャケットも洗濯しよう。
ところで今回のブログ更新で500回の更新になる。祝!祝!パチパチパチパチ。ブログは週に1度更新し、1年は52週あるので約10年もブログを更新している。ブログの文字量は毎週約1,000字で、500回のブログ更新で書いた文字量は50万字に及ぶ。一般的な本の文字量は文庫本で10~12万字、新書では8~12万字で、どちらも1ページあたりの文字量は15行×40字で600字になり、1冊が10万字の本では167頁ほどになるそうだ。驚いたことに僕はもう5冊も本を書いたことになる。
そもそもブログを始めたきっかけは、会社のPRと社内外のコミュニケーション、それに当時一緒に働いていた連中の文章力向上のためだった。ブログの内容は日々の生活や仕事で感じたことなど雑記で良く、毎週金曜の業務時間外にブログを書きスタッフ間でローテーションし更新するルールになっていた。しかしそのルールは初回から守られず、仕方なく僕が最初にブログを書くことに。それ以降も予定があるや仕事で忙しいなど理由を付けて誰もブログを書かないので、しばらく僕がブログを書くことに。当初のルールを守って自発的に誰かがブログを書くまではと、意地を張って書いていたが一向に誰もブログを書こうとはしない。そしていつの間にか(仕方なく)僕のルーティンワークになってしまった。
「皆で決めたルールだろ。しっかり守れよ!」
今でもブログを続けることに苦痛を感じることはあるが、ブログを書くことで得られるものもある。まず何よりも忍耐強くなった。ネタが無くても体調が悪くても意地でも金曜日にはブログを更新しなければならない。(一体、この意地は何だろう…)また日々の生活の中で常にアンテナを張りブログのネタを探さなければならないので、多くのことに敏感になった。そして文章を書く訓練にもなり、年齢を重ねて脳が低下することを抑制することにも繋がっている。
いずれにしても毎週楽しみにブログを読んでくれている人もいるので、これからもブログを続けるつもりだ。
「さぁ、500回記念だ。今夜は祝杯を挙げよう♪」
WBCの決勝戦で日本代表の「侍ジャパン」が米国代表を撃破し、3大会ぶりに世界一に輝いた。アメリカで行われた決勝戦は日本時間の平日3月22日の朝8時から行われ、僕はラジオ中継を聴きながら愛犬Q次郎の散歩に出掛け応援した。多くの人は仕事の合間にスマホで試合の状況を確認していたのではないだろうか。
ところで3月21日の「春分の日」はお彼岸で毎年恒例のお墓参りに出掛けた。毎年お彼岸にはお墓参りに行くことが恒例になっているが、なぜお彼岸にお墓参りに出掛けるのだろうか?
お彼岸は春と秋の年2回あり、春のお彼岸は「春分の日」(毎年3月20日頃)を中心に前後3日の7日間、秋のお彼岸は「秋分の日」(毎年9月22日頃)を中心に前後3日の7日間とされている。「春分の日」と「秋分の日」は年によって異なり、毎年、国立天文台がその日を決め、前年の2月に政府が発表することになっている。そして「春分の日」と「秋分の日」を決めるには太陽が大きく関わっている。
地球は太陽の周りを1年かけて一周(公転)し、地球は1日で一周(自転)している。地球が自転するときに地球の軸が公転の面に対して約23.4度傾いているため公転するときに、その傾きが昼と夜の時間の違いや季節を生み出している。そして年に2回、昼と夜の長さが同じになる日を春分点と秋分点と言い、その春分点と秋分点を含む中心の日を「春分の日」、「秋分の日」と呼ぶ。
その「春分の日」や「秋分の日」は仏教で法要を行うお彼岸にあたる。お彼岸は僕たちが生きている「此岸(この世)」に対し「彼岸(向こう岸にある極楽浄土)」を意味しており、この日は太陽が真東から登り真西に沈む。浄土は真西にあるとされ、昼(生)と夜(死)の時間の長さが逆転する日でもあり、浄土が最も近づく日と考えられている。この日に浄土に向かって拝むと功徳があると昔から信じられ、お彼岸にお墓参りに行く習慣ができたそうだ。
3月21日はあいにくの雨で、朝からWBC準決勝の日本対メキシコ戦が行われていたので道路は空いておりスムーズに墓参りができた。午前中に墓参りを終え、昼食を取ろうと近所の蕎麦屋に出掛けると、「侍ジャパン」の勝利に多くの客が祝杯を挙げ、ペッパーミルパフォーマンスをやっていた。
「ペッパーミル?蕎麦屋は石臼だろ…」