数年前、東京からお客さんが出張で来福し夜に一杯やることになった。ほろ酔い気分で1軒目の居酒屋を出た後、お客さんの強い要望で2軒目は屋台へ。
福岡の歓楽街中洲、そこに那珂川という川があり、その袂に屋台が並んでいる。比較的混んでいたので席の空いている屋台を探して入った。中洲の屋台街には公衆トイレが一箇所あるが、僕らが入った屋台からは那珂川を挟んで対岸にあり、そこに架かる橋を渡って100メートルほど行かなければならなかった。ほろ酔いの僕には随分遠く感じた。
季節は5月初めで多少肌寒くおでんとビールが良く合った。時間が経つと屋台で飲んだビールで催してきた。公衆トイレまで行くことが億劫だったので、那珂川の川縁で用をたそうと川縁まで下りて行った。しかし那珂川に架かる人通りの多い橋の上から丸見えだった。それではと思いナニを出したまま、橋を背に暗がりの中の傾斜したコンクリートの川縁を歩いて行った。後から考えると公衆トイレと同じくらい歩いたことになる(笑)
そして数メートル歩いてところで事故が起きた。
「ツルッ!ガツンッ!」体が180度ひっくり返りコンクリートの川縁に顔面を叩きつけ、僕は川に落ちた。一瞬何が起こったのか理解できない。しかも川底に足が付かない。ほろ酔いとはいえ5月初めの川はかなり冷たい。必死に川縁のコンクリートに掴まり冷静さを取り戻そうとする。右目に何かが入り目がかすむので片手で拭うと、べっとりとした生温いものが溢れている。暗くてはっきり見えないが血が溢れているとわかった。一時して冷静さを取り戻し、とりあえず川の中で用を済ませ、川から攀じ登ろうとしてハッとした。傾斜のある川縁のコンクリートは一面に苔が生えていた。苔に滑ったんだ…。
必死に攀じ登ろうとしたが苔に滑ってなかなか上がれない。攀じ登っては滑り、攀じ登っては滑り。苔ってこんなに滑るんだ…(感心している場合か)。15分ほど繰り返し体力も限界に近づく。橋の上の通行人に向かって「助けてくれー」と叫ぼうかと思ったが、ズボンからナニは出ているし、大の大人がこんな姿で…。結局、渾身の力を指の爪に込めてやっとのこと這い上がることができた。そして、また滑って川に落ちないように四つん這いになって来た川縁を戻った。
激痛を耐えながら飲んでいた屋台に何も無かったかのように戻ると、屋台の店主と屋台で飲んでいたお客全員がギョッとした。全身ずぶ濡れで苔塗れ、そして顔面血だらけ…。そんな姿でうちに居られると周りのお客に迷惑と、店主に再入店拒否。周りのお客さんは病院に行かなくても大丈夫と言い張る僕を説得。結局、近くの救急病院に急遽タクシーで向った。
病院で診察され事情を話すとCTスキャンまで取られたが頭に異常は無かった。しかし傷口に苔がかなり入りこんでいたので、傷口を徹底洗浄された後に傷を縫われた。
次の日、大切な打合せにサングラスを掛けて参加した…。
あの時の医者は「傷は残らない」と言っていたのに…。
『急がば回れ』身に沁みた。
written by 彦之丞(ひこのじょう)
本田が試合終了直前にPKで同点ゴールを決めた。そして同点のまま試合終了のホイッスル。日本代表はワールドカップブラジル大会への切符を手にした。
試合は0対0のまま後半戦へ突入。そして後半戦36分に日本は失点してしまった。僕はテレビでその試合を観戦していたが、きっと多くの視聴者が失点した瞬間に日本代表の負けを意識したに違いない。そしてついにロスタイムに突入。それでも日本代表選手は諦めていなかった。積極的に相手ゴールに攻め込んだ。そして相手のゴール手前で本田の放ったクロスボールが相手選手のミスを誘った。
PKはシュートする側に分があるが、日本中の期待を本田は背負った。その重圧は想像もできない。あまりの重圧に自らミスシュートを蹴り出すかもしれない。しかし、あの大一番でゴールを決めきる力が本田にはあった。
決めきる、守りきる、やりきる…。この『きる』力は日々の鍛錬の中から習得されるもので、ハードな練習により身に付けた並々ならぬ技術力、幾度となく土壇場を経験した精神力から生まれてくるものなのだろう。きっとゴールを見つめながら本田は心の中で「俺ならできる」、「決める」そう心の中で呟いていたはずだ。
最後まで諦めずに、ここ一番の土壇場で決めきる力が多くの人に感動を与えることができる。そして来年行われるワールドカップでもたくさんの感動を見せてくれるだろう。
written by 彦之丞(ひこのじょう)
脳の片隅に追いやられている記憶がふとしたことで目を覚ますことがある。梅雨空を見上げた時に、苦しかった頃の記憶が目を覚ました。その記憶は梅雨の時期のものではなかったが苦い記憶だったので、どんよりとした曇り空を見て目を覚ましたのだろう。
記憶を呼び覚ますものは視覚からだけではなく、聴覚や嗅覚、更には味覚、触覚と五感の全ての感覚からの情報で呼び覚ますことができる。ある音楽を聴くと必ず思い出す風景がある。町ですれ違った女性の髪から流れきたシャンプーの香りから、大学の教室を思い出したこともある。そしてジェリービーンズを食べると必ず思い出す記憶がある…。そして、ひんやりしたタオルケットを触った瞬間に、子供の頃にエアコンの利いた部屋を思い出す。当時は今のようにエアコンが普及しておらず、我が家に初めてきたクーラーは家族で寝ていた部屋だけに設置されていた。
先日、行きつけの床屋で顔を剃ってもらっているときチクリとした。剃刀がほんの少し僕の顔を傷つけた。たまにある床屋さんのちょっとした失敗。そのことである記憶が目を覚ました。子供の頃、ピアノの発表会の前夜にこっそり父の真似をしてT字の剃刀で鼻の下の産毛を剃ったことがある。初めてのことだったので見様見真似で剃刀を顔で滑らせた。結局、翌日の発表会には鼻の下に絆創膏を貼って出ることになった。
広告の世界は記憶されることを目的に視覚と聴覚の2つの感覚に情報を発信している。しかし3つの感覚がまだ残されており、この領域での広告手法は未だ確立されていない。
ハッとした!そう言えば犬は良く鼻を使って匂っている!犬を観察してアイデアを絞ってみよう。そう思った。
written by ダニエル