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2013年08月23日

終戦記念日が近づくと多くのメディアが悲惨な先の大戦を伝える。20世紀は戦争の世紀で幾度と無く悲惨な戦争を繰り返し多くの人間が命を落とした。

日本という国は四方を海に囲まれている。海に囲まれていることで日本が守られているわけではなく、逆に他国が隣接していないことでどこからでも敵が侵攻することが可能だ。そして致命的なことにこの国は資源がほとんど無い。そのため海を超え外に出て祖国日本を守り資源を確保しなければならなかった。

初盆だったので親戚が集まり祖母を偲んだ。そして終戦当時の話になった。当時、僕の父の家族も満州で生活しており、そこで終戦を迎えた。そして日本本土に帰る引揚船に乗るため朝鮮半島を縦断することに。しかし終戦直前にロシアも参戦し満州や朝鮮半島に攻め込んできた。終戦後にアメリカとロシアの占領地を分けるために分割占領ラインである38度戦が引かれ、朝鮮半島は二分された。

38度線の北側はロシア軍が警備しており、ロシア軍に捕まるとロシア軍の捕虜としてシベリアなどで強制労働を強いられることになる。そこで夜の暗がりにまぎれながら何日もかけて38度線を越えたそうだ。父と父の兄弟もまだ子供で、末っ子は生まれて間もなかったそうだ。食料も乏しく着の身着のままで、祖父と祖母が子供たちを抱きかかえての決死の逃亡だった。そして終戦から約1年が経った頃、人で溢れかえる満杯の引揚船で何とか北九州市の門司に辿り着いたそうだ。
もし子供だった父に何かあれば僕が生を受けることは無かったのだろう…。

休みが続くと仕事をすることが億劫になる。僕だけだろうか…。
僕のデスクの前にある窓から日の丸の旗が見える。今日も青空に下はためいている。

休み明けのだらけた体に渇を入れた。
「よしっ!頑張るか!」

written by ベルハルト

2013年08月02日

あまりに暑いので涼しいことを考えようと頭を巡らしてみた。

以前、サハリンで資源開発が進んでいるから視察に行こうと、親しい取引先の方に誘われ真冬のサハリンへ行ったことがある。サハリンでの初日の出来事。

サハリン市内のホテルに到着した時間が夜遅かったので、ホテル内のレストランで直ぐに夕飯を取ることになった。ロシアでは度数の高いウォッカがお酒の定番。乾杯のビールの後はウォッカを飲むことに。(ちなみにロシア料理は非常に美味しく口に合った)
ウォッカはチビチビ飲む酒ではなく、冷えたウォッカを小さなショットグラスに注ぎ、一気に胃袋に流し込むものである。飲んだ瞬間胃袋が熱くなる。1時間半程経ってレストランが閉店する時間になったので、飲み足りない気持ちを抑え明日に備えて各自部屋に戻り休むことになった。
しかし大の酒好きの取引先の方が、レストランでウォッカのボトルを2本買ってきたので、その方の部屋で飲むことに。5人のメンバーはウォッカで大いに盛り上がった。そこに部屋の電話が鳴った。電話はフロントからで、他の部屋のお客様から騒がしいと苦情があったので、静かにしてくれとのことだった。

「そもそもここサハリンは日本の領土だったんだ!畜生!ロシア人め!」
「日本人の意地を見せてやれ!」(何の意地?)

結局ホテルを出て屋外で飲むことになり、各自部屋に戻りグラスを片手にホテルを飛び出しホテル横の空き地へ。その空き地にあるコンクリートの階段に腰を下ろしウォッカを飲み直すことに。外気はマイナス20度。地面は凍っており真っ暗な夜空からはきめ細かいパウダースノーが降っていた。しかしウォッカをたらふく飲んでいるので体は温い。そして誰かが大声で「サハリンの雪見酒もいいなー」と言い出す始末。

ボトルが残り僅かになった頃、メンバーの一人が寒さで震えだした。彼だけパジャマ姿だった。他のメンバーはグラスを部屋に取りに戻った時に、ダウンジャケットなどをしっかり着込んで出てきていた。そして体を温めるためにパジャマ姿のメンバーが最後のウォッカを一気に飲み干し、ホテルに戻って寝ることになった。ホテルに戻る道でメンバーの一人が滑って派手に転んだ。(次の日、腕が大きく腫れていた…)
部屋に戻ると午前3時になっていた。結局一人一本ずつウォッカのボトルを開けたことになる。

翌朝、サハリン市内の観光に出かける集合時間にメンバー2人の姿は無かった…。

思い出すだけで体が余計に熱くなった…。

written by マックス

2013年07月26日

以前、東京出張に出かけた際、帰りの飛行機の時間までと念を押し、お取引先の方と昼からお酒を飲むことに。1軒だけのはずが2軒目へ。2軒目では誰が言い出したのか「イッキ」が始まった。(言い出すのは決まってそのお取引先の方)しかもウィスキーの水割りはどんどん濃くなり、いつの間にかストレートに。
いよいよ飛行機の時間が迫りお取引先の方がタクシーで羽田空港まで送ってくれた。飛行機の搭乗手続きのカウンターにふらふらで向かうと、航空会社の地上係員に搭乗拒否をされた。理由は泥酔しているお客様はお乗せできないとのこと。
しかたなく他の航空会社の搭乗カウンターへ向かった。(羽田は航空会社でターミナルが異なるので、またタクシーに飛び乗ることになる)そして、その航空会社でも搭乗拒否。
仕方なく酔いが醒めるまでお取引先の方と待合席で眠る始末。(かなり淫らな格好で…)
結局、また違う航空会社の最終便で帰ることに。

先日、日帰り出張で東京に出かけその取引先の方と会うことになった。
先方は電話で済む話なのにと恐縮していた。ランチにビールが運ばれてきた。ビールを飲む前に仕事の話を始め、グラスに注がれたビールの泡が消える前に仕事の話は終わった。そして乾杯!その一杯のビールが火を付けた。その後は以前のように盛り上がり、結局、昼間から3軒もハシゴ。飛行機の便を変更する羽目に。一瞬、「今日も搭乗拒否されるのでは?」そう頭によぎった。

電話であれば直ぐに終わる仕事の話。しかし大切な仕事は例え遠方でも出かけて行って膝を付け合わして話をすることにしている。確かに時間や費用はかかる。しかしその空間でしか感じることのできない温度や質感を肌で感じることができる。そして何よりも共有された時間があり、まさにライブだ。この共有された時間が信頼関係を築いていく。通信が発達した今の時代でも音楽やスポーツなどのライブには多くの人が出掛ける。録画された映像では伝わらない温度や質感を肌で感じることができるからだろう。

空港の中を全速で走り、変更した飛行機にギリギリ間に合うことができた。こんなことなら泊まりにすれば良かった…。

written by ゴンザレス

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