先日、水産業者を営む方と食事をする機会があった。水産業者と言っても魚屋さんだ。以前は店頭販売をしていたそうだが、店の近所にスーパーマーケットができ、お客が激減したそうだ。そこで店頭販売を止め、飲食店などに魚を卸す業態に変えたそうだ。
彼は学校を卒業後、鮮魚市場の中にある仲買の会社に就職した。市場の朝は早く、仕入れた魚の積み下ろし作業が中心で、自宅に帰る頃にはヘトヘト。しかも風呂に入っても体に付いた魚の匂いが取れない。当時、市場がまるで刑務所に感じたと言う。あまりの過酷な仕事だったので3日で辞めようと思ったそうだ。
しかし先輩の紹介で就職したこともあり、先輩の顔を潰すことできずに仕方なく数年その仕事を続けた。その後、転機が訪れ彼は独立した。
漁師は魚を獲り、その魚を市場に持ち込む。彼はその持ち込まれた大量の魚の中から鮮度や質を見極め仕入れる。仕入れた魚は事前に注文を受けていたお得意先に納品する。彼がこの仕事で何よりも喜びを感じる瞬間は、お得意先から「旨くて良い魚だったよ!目利きが良いね!」そう言われる時だそうだ。
「目利き」は長年真剣に仕事に向き合い、その蓄積された経験からもたらされる勘だと思う。今は昔と比べて寿命も2倍近く延びている。そのためか人としての成長も昔に比べ遅くなったように感じる。
「石の上にも3年」と言うが、現代では「石の上にも6年」ということになるのかもしれない。6年くらい真剣に仕事に向き合い下働きをしなければ「目利き」をする力が身に付かないのだろう。
「目利き」は僕らの業界でも大切だ。
「目利き」と言う言葉はつくづく良い言葉と改めて思った。
written by 彦之丞(ひこのじょう)
30年ぶりに仕事で京都に出かけた。簡単に言えば修学旅行以来だ。
修学旅行では金閣寺、清水寺、平安神宮とお決まりの観光地を回った記憶があるが、今回は仕事で出かけたこともあり、30年前と全く違い『飲み歩きの京都』になった。
さぁ、大人の修学旅行の始まりだ。取引先の方と花見小路を中心に料理店を回った。京都は先の大戦で戦火を免れたことで昔ながらの建物が多い。日が暮れかけた花見小路の路面店の赤いちょうちんに灯がともり、舞妓さんが石畳を歩いていく。学生の修学旅行ではまず見ない光景だろう。
ガラガラと店の戸を開けると、店の中から「おいでやす~」と声がかかる。カウンターに座り値段が書いていないメニューに手を伸ばし、酒と肴を注文する。最初は品良く飲んでいるのだが、酒が進むと少しずつ声が大きくなり、カウンター越しの板前のお兄さんや、配膳のお姉さんに話しかけてみたり、まるで常連のような顔で酒を飲むんでいる。大将と目が合ったりするとまた少し静かになる。腹も膨らみ、締めはちりめん山椒のお茶漬けだ。あまりの旨さに山椒ちりめんをお土産にしてもらった。
その後、近くの和の雰囲気が漂うバーに足を運び、ウィスキーを飲む。2軒目は1軒目よりも常連のような顔で飲む始末。そして夜もかなり更けラーメンを食べてお開きになった。
毎度思うのだが、何で何軒も飲み歩かなければならないのだろう。結局、どこで飲んでも同じなんだ。
written by ジェイク
体調を壊して随分となる。
若い頃は多少無理をしても体調を壊すことは無かった。また壊したとしても、一晩ゆっくり休むと次の日はピンピンしていた。
最近は何かあるたびに健康食品に健康ドリンク、そして医者に掛かり処方薬を飲んでいる気がする。
そう言えば、忘れることも多くなった。立ち上がって、何で立ち上がったんだろうと考えてしまう。それに老眼も酷くなった気がする。要するにポンコツに近づいてきているのだろう(笑)
しかし仕事に関しての記憶と勘は未だ衰えていない。忘れてはならないことは以前よりメモ帳や付箋などにやたらと丁寧に文字化しているからだろう。
僕は書くということは記憶するための基本だと考えている。手と指を動かし、目で確認している。結局時間をかけて記憶しているからだろう。
早いもので2月も終わる。
月末になり社内の伝票やお得意さまへの請求書を作る頃になった。入出金のチェックなど、決して間違えてはならないことだ。
「最近、老眼で請求書の金額を間違えてしまいました…」
「記憶が間々ならないので、支払日を間違えました…」
そんな言い訳は通用しない。
肉体は衰えても脳は衰えない工夫をしないといけない。
そう言えば2月26日は以前勤めていた会社が突然倒産した日だ。
あまりに衝撃が大きかったのでしっかり記憶している。
当時の仲間は元気でやっているのだろうか…。
written by マックス