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2013年09月06日

Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.
『人生はチョコレートの箱のようなもの。開けるまで中身はわからない。』

映画「フォレスト・ガンプ~一期一会~」の冒頭の台詞だ。アメリカではミルク味、ナッツ、ビターなど多くの種類のチョコレートが、アソートの詰め合わせで販売されている。だから食べてみるまでチョコレートの味は分からない。このことを人生に例えた名台詞だ。

まだ人生を語るには早い歳だが、人生は不思議なことが起こる。
人と人との縁も不思議なもので妙な巡り合わせがある。この巡り合わせによって人生という道が変化していく。そして人生の最終地点であるゴールが大きく変わる。

同じ道を歩いていた仲間と別れ、別々の道を選択し歩くこともあれば、逆に独りで歩いていると後ろからテクテクとついてくる者がおり共に歩くことに。そして歩いていた道を修正しなければならなくなる。そのことで人生のゴールが変化していく。

まさに「人生はチョコレートの箱のようなもの。開けるまで中身はわからない。」
人生が終わる時にチョコレートの味がわかるのかもしれない。そのチョコレートは甘くスウィートなのか、それともビターなのか…。

多くの人の人生が甘いチョコレートであって欲しい。

written by クリスティーナ

2013年08月30日

「時代が大きく変化している」いつの時代もそう言われる。しかし以前より変化の速度が増しその変化の幅が大きくなった気がする。

パナソニックが発売したプラズマ・液晶テレビ「スマートビエラ」のCMが放映されていない。各テレビ局がCMを拒否しているそうだ。そして驚くことにパナソニックはアメリカのウェブの広告大手企業と提携したことを発表した。

このテレビはテレビ番組だけでなくウェブ閲覧やSNSなども利用できる。多くのデジタルテレビもインターネットに接続すればウェブを閲覧できるタイプのものが多い。しかしこのテレビはテレビ番組とネットが同一画面で同時に見ることができる。そして驚くことにテレビCMやバナー広告をパーソナライズ分析し、視聴者に合わせて広告を発信する機能が搭載されている。アメリカで販売される製品にはこの機能が搭載されているが、日本で販売される製品には搭載されていない。日本のテレビ局などに配慮してのことだろう。

このテレビがアメリカで普及すれば提携したウェブ広告会社と、この機能を利用した広告が発信されることになる。(このテレビを普及させるために、一定期間無料で提供したとしてもパナソニックは広告収入で賄える)いずれこの流れは間違いなく日本にも到達するだろう。そして、今後テレビを製造する家電メーカーがメディアになる可能性がある。

近い将来、スマホやパソコンだけでなくテレビや自動車、そして住宅などがデジタルで繋がり、全く新しいメディアが出現することが考えられる。現在の既存メディアは更にダメージを受けることになるだろう。広告業界で働く者は新しいメディアの特性を理解し、お得意先に提案しなければならない。そのためには思考も発想も大きく変える必要があり、旧態依然の発想であれば生き残ることができないだろう。

ティラノザウルスやトリケラトプスなどの恐竜は凍りついた世界で絶滅した。しかし微生物などは生き残り進化した。これからは五感を最大限に生かし時代の潮流を見極めた小回りの利く企業が生き残り、そして更に進化していくことになるだろう。

written by SDB-1

2013年08月23日

終戦記念日が近づくと多くのメディアが悲惨な先の大戦を伝える。20世紀は戦争の世紀で幾度と無く悲惨な戦争を繰り返し多くの人間が命を落とした。

日本という国は四方を海に囲まれている。海に囲まれていることで日本が守られているわけではなく、逆に他国が隣接していないことでどこからでも敵が侵攻することが可能だ。そして致命的なことにこの国は資源がほとんど無い。そのため海を超え外に出て祖国日本を守り資源を確保しなければならなかった。

初盆だったので親戚が集まり祖母を偲んだ。そして終戦当時の話になった。当時、僕の父の家族も満州で生活しており、そこで終戦を迎えた。そして日本本土に帰る引揚船に乗るため朝鮮半島を縦断することに。しかし終戦直前にロシアも参戦し満州や朝鮮半島に攻め込んできた。終戦後にアメリカとロシアの占領地を分けるために分割占領ラインである38度戦が引かれ、朝鮮半島は二分された。

38度線の北側はロシア軍が警備しており、ロシア軍に捕まるとロシア軍の捕虜としてシベリアなどで強制労働を強いられることになる。そこで夜の暗がりにまぎれながら何日もかけて38度線を越えたそうだ。父と父の兄弟もまだ子供で、末っ子は生まれて間もなかったそうだ。食料も乏しく着の身着のままで、祖父と祖母が子供たちを抱きかかえての決死の逃亡だった。そして終戦から約1年が経った頃、人で溢れかえる満杯の引揚船で何とか北九州市の門司に辿り着いたそうだ。
もし子供だった父に何かあれば僕が生を受けることは無かったのだろう…。

休みが続くと仕事をすることが億劫になる。僕だけだろうか…。
僕のデスクの前にある窓から日の丸の旗が見える。今日も青空に下はためいている。

休み明けのだらけた体に渇を入れた。
「よしっ!頑張るか!」

written by ベルハルト

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