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2019年11月15日

入院している親父が肺炎を起こし高熱が続き意識が朦朧としているので、医者からは覚悟しておくように言われた。親父は10年ほど前に前立腺癌が見つかったが、早期発見だったので事なきを得た。その後、年齢を重ねた親父は突然、癲癇を発症し、それが引き金になったのか、パーキンソン病、レビー小体型認知症と脳の病を立て続けに発症した。
それまで親父は風邪ひとつ引いたことがなく、毎日スポーツジムに通い水泳で体力維持に努めていたが、癲癇による突然の発作から事故を防ぐため、医者から運動や自動車の運転など日常生活を制限され体力と脳機能が落ちていった。
その後、癲癇の症状は見られなくなったが、パーキンソン病とレビー小体型認知症が少しずつ進行し、歩行に悪影響を及ぼし転ぶことが多くなった。そして昨年の5月に親父は庭で草取りをしていた時に転んで頭を強く打ち急性硬膜下血種で手術を受けた。無事に手術を終え退院に向けてリハビリを行っていたが、嚥下障害から肺炎を繰り返し、食事を取ることができなくなったので胃ろうを検討したが、親父は食事を取りたい一心でST(言語聴覚士)によるリハビリを根気強く受け、昨年末には退院しお袋と二人で日常生活を送れるまで回復した。
そして今年のお盆に親父は自宅で転び足を痛め入院し再びリハビリを受けていたが、また嚥下障害から肺炎を起こし、今は救急病院で40度を超える高熱で死の淵を彷徨っている。

死は必ず訪れ誰も逃れることはできない。しかもどのような状態で死を迎えるのか、死の直前までなかなか予測できない。親を見ていると、いずれ自分にも訪れる高齢の生活と、死をはっきりと意識するようになった。また親族の死を目の当たりにしたことで、多少なりとも死を学習することができた。
まず周りに迷惑をかけずに綺麗な死に方をするためには早いうちから身辺整理が必要で、死をしっかり見据え計画は立て、身のまわりを整理し不必要なものは処分しなければならない。また資産も可能な限り現金に替え、現金をひとつの銀行口座などに纏めておかなければ死んだ後に遺族は整理が多変だ。
健康面では脳の病を患うと周りに随分と迷惑を掛けてしまい、自らの行動までも制限されてしまうので、脳の病に掛からない努力が必要だ。また胃腸系の病や嚥下障害にも気を付けなければ食事が取ることが難しくなり生きる喜びを奪われてしまう。そのためには栄養バランスのとれた食事はもちろん、適度な運動と脳のトレーニングを日々行ない、ストレスのない生活を送らなければならない。楽器の演奏は脳に刺激を与え、カラオケで歌うことは嚥下障害に有効だと言う。いずれにしても綺麗な死に方をするためには毎日の努力が必要だ。

親父は全く身辺整理ができていないので、死んだ後の遺品の整理は大変だろう。お袋は全て俺任せなので、考えただけでもゾッとする。

written by モンコ

2019年11月08日

3連休を過ごすと、多くの企業は早く週休3日制を導入するべきだとつくづく思う。週休2日と週休3日では心のトキメキと心の穏やかさが全く異なる。政府は働き方改革を掲げ残業時間や有休消化など企業に推進しているが、もっとシンプルに残業ゼロ、週休3日を推進するべきだ。(週休4日でも良いのだが…)

先週の3連休はほとんど外出せず、子犬のQ次郎(雌犬)とゆっくり過ごした。以前飼っていたQ太郎(こちらも雌犬)が子犬の頃は元気で家中を走り回っていたが、Q次郎はさらにパワフルで持久力もあり家中を何度も走り回っている。Q太郎が悪戯をして叱られるとシュンとして目を背けていたが、Q次郎は叱られても僕としっかり目を合わせ、吠えながら向かってくる。何とも気の強い子犬だ。
Q次郎を譲ってくれたブリーダーの方は親犬の性格は子犬に遺伝すると言い、Q次郎のお父さんは従順でお母さんは穏やかな性格だと言っていたが…。

Q次郎の3連休はいつものように早朝から朝食をせがんで僕を起こし、朝食が終わると適当な場所で用を足し叱られる。その後は遊んでくれとせがむのでボールなどでしばらく遊んであげると、遊び疲れてコテンと寝てしまう。Q次郎は寝ていても何か音がすると首を上げ、興味を感じると駆け寄ってくる。Q次郎は昼食を終えると適当なところでまた用を足し僕に叱られ、遊び疲れて寝てしまう。そして夕食以降も同じパターンを繰り返す。
休みの日のQ次郎は食って、遊んで、寝る。以前、「食う、寝る、遊ぶ」という広告のキャッチコピーがあったが、そのキャッチコピーと同じように過ごしている。今月中旬に3回目のワクチンを終え、いよいよ散歩デビューをするので休日のパターンは変わるだろう。

Q次郎はまだ生後3か月なので、今のところソファーにもベッドにも飛び乗ることはできないので無茶な悪戯はしないが、半年もすると成犬になるのでジャンプ力も身に付き悪戯三昧の毎日で家中を無茶苦茶にするだろう。以前飼っていたQ太郎はベッド、ソファー、食卓の椅子にもピョンと飛び乗り、一人の時は食卓の椅子から食卓に上りお菓子や果物を食べあさっていた。しかも不思議なことに引き出しまで開けることができたので、引き出しの中にある食べ物も食いあさっていた。以前、引き出しを開け袋に入っていた鰹節を見つけ鰹節を食べ散らかしていたことには驚いた。

Q太郎もそうだったが、Q次郎も僕が休みの日が分かるようで、仕事の日は玄関まで追いかけてはこない。逆に休みの日に出掛けようとすると、玄関まで追いかけて来て「休みなのにどこに行くと?」と問いただすように吠える。
僕が連休だとQ次郎が喜ぶので、早く週休3日制にしなければならない。

written by ゴンザレス

2019年11月01日

足の骨折しリハビリで入院している親父は嚥下障害から肺炎になり、鼻から管を入れ薬や栄養を摂取している。欧米では自ら食事を取れなくなった人を延命させることはあまり無いそうで、日本の高齢医療は稀だと医者が言っていた。若ければ回復し明るい未来はあるが、高齢だと回復しても徐々に弱っていくので未来に希望は持てない。僕が親父の立場であれば、まともに食事を取れずに苦しい処置が続くことに抵抗するだろう。

ところで女優の八千草薫さんが亡くなった。彼女の遺作に「まあまあふうふう」と言うエッセイがあるそうだ。このエッセイのタイトルの「まあまあふうふう」とは中国語で「馬馬虎虎」と書くそうで、言葉の由来は中国の宋の時代にある画家が頭は虎で体は馬の絵を描き、その絵を見た人が「これは馬なのか、それとも虎なのか」と質問したところ、「馬馬虎虎」と適当に返答したことに由来し、「いい加減」や「適当」を意味するそうだ。
エッセイでは「豊かに」歳を重ねた八千草さんが、自分らしく生きるためのヒントやどんな時も一生懸命に楽しく、そして「いい加減」に人生をまっとうする気持ちが綴られている。

この「馬馬虎虎」と言う言葉は、夫が几帳面で頑張り屋だった八千草さんにアドバイスした言葉で、八千草さんはこの言葉で随分と気が楽になり、その後の生き方に大きな変化を与えたようで、彼女が晩年とくに大切にした言葉なのだそうだ。
日本語にも“まあまあ”、“ぼちぼち”、“そこそこ”…など「馬馬虎虎」と同じような意味を持つ言葉があり、どれも「適当」や「いい加減」を意味する。一般的に「いい加減」と聞くとマイナスな印象を持つが、本来は“適度”や“良い加減”の意味で“ちょうど良い”ことを表す。日々の生活の全てが「いい加減」の方がちょうど良いのかもしれない。食事、酒、風呂の湯、仕事、運動…。

今年もようやくお得意先のカレンダーの制作が終わり、無事に納品することができた。若い頃はカレンダーを勢いよく捲り、無理にたくさんの予定を書き込んでいたが、これからは「馬馬虎虎」に楽しんで生きようと思う。高齢になった親父も「馬馬虎虎」に、彼の望むことをしてあげた方がもっと長生きするのかもしれない。

明日から3連休だ。親父を見舞って「馬馬虎虎」と声を掛けよう。

written by キムジー

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