今週、福岡では早くも気温25℃を超え夜は寝苦しく、大嫌いな夏がそこまで近づいていると思うと、少し気が重くなる。来週末はゴールデンウィークに入るが、皆はどんな休暇を過ごすのだろう。僕は親父が生死を彷徨っているので自宅で過ごすことになる。
ところで最近はAI「チャットGPT」が話題になり多くのメディアで取り上げられている。GPTとは「Generative Pre-trained Transformer」(Generative:文章を生成する、Pre-trained:事前学習した、Transformer:変換・変形)の略で、アメリカの企業OpenAIが開発した自然言語の処理技術だ。GPTは大量の文章やデータを自ら学習し文章を生成することができ、その技術をチャットボットに応用したのが「チャットGPT」だ。
これまでのチャットボットはあらかじめ用意されたテンプレートに沿って会話をするので、限られた回答しかできなかったが、「チャットGPT」は自ら学習し、ユーザーの発言などに応じて自然な返答を生成することができる。近い将来、自然言語の処理技術はさらに進み「チャットGPT」は自然な会話で声のトーンや表情、そしてジェスチャーまで対応できるようになると言う。
AIの技術がさらに進めばどんな未来が訪れるのだろうか?車椅子の宇宙物理学者スティーヴン・ホーキング博士は生前、AI(人工知能)が人類に与える脅威について次のように語っている。
「AIは独自の意思を持ち始める可能性があり、AIは人類にとって最悪、もしくは最良の結果をもたらす可能性がある。AIやロボットは既に人間から仕事を奪い始めているが、同時に社会を前向きな方向に変える力を秘めている」
さらにAIは我々が想像するよりもずっと早く進化を遂げ、数十年後には人間の知性を超える可能性があると博士は語り、世界中の技術者にこの脅威を前提に正しい認識を持ち、業界のガイドラインや法の整備を検討すべきだと語っている。
近い将来、亡くなった人が生前に経験したことや学習したこと、またその人の価値観や思考などをAIに学習させると、その人と同じ声のトーンや表情で会話ができるようになり、この世を去った親父もAIで蘇るかもしれない。
「こらっ!何ばしよるとか!」(ヤバいな…笑)
それはそれできっと楽しいだろう。
桜は新緑の葉に身を纏い葉桜へと姿を変え、もう直ぐ皆が待ち望むゴールデンウィークだ。以前、ゴールデンウィークは殆どの企業で暦通りに出社していたが、最近はゴールデンウィーク中の平日も休みにする企業が増え、今年は最大9連休になる人も多いだろう。新型コロナウィルスが落ち着ついた今年のゴールデンウィークは観光地などで大きな混雑が予想される。
医療機関では新型コロナウィルスの影響は今でも続いており、親父が入院する病院では患者との面会は週に1度10分、面会の人数は3人までと制限されているが、容体の悪い患者のみ面会は週に3度と緩和されている。
2週間前に親父は肺炎で熱を出し容体が悪化したので、今は週に3度見舞いに行っているが、面会時間は10分なので直ぐに制限時間になってしまう。親父の容体は多少安定しているようだが、見舞いに行っても親父は目を閉じていることが多く話し掛けても反応しない。そこで短い時間だがスマホで親父の好きだった音楽を聴かせることに。
親父は美空ひばりと生年月日が同じで美空ひばりのファンだったので、彼女の歌「川の流れのように」を親父の耳元で流した。すると驚いたことに親父は目を開け潤んだ目で歌のサビを口ずさんだ。
「あ~あ~♪…」
その時、僕は思った。
(ひょっとすると、親父はこの歌の歌詞のように川の流れに身をまかせ、穏やかな死を望んでいるのではないだろうか…)
以前、親父とお袋はお互い延命処置をしないと約束していたが、嚥下障害になった親父は3年も食事ができず経管栄養や点滴を受け生き永らえている。これも延命処置で親父の意思とは違うとお袋と口論になったが、意識があるうちは生かしてあげたいとお袋は言う。自然界では自ら食べることができなくなる時は死を表す。あの百獣の王ライオンも高齢になり獲物を捕らえることができなくなると、自ら死に場所を探し藪の中に姿を消すと言う。しかし人間は自ら意思で死に場所を探すことは難しい。
「あ~あ~♪川の流れのように~穏やかにこの身をまかせていたい。あ~あ~♪川の流れのように~いつまでも青いせせらぎを聞きながら~♪」
とにかく親父が穏やかで安らかな死を迎えられるよう切に願っている。
先週、満開になった桜の花は早くもフィナーレを迎え、桜吹雪で今年も見納めになる。桜の花びらが宙を舞う光景は美しく潔さを感じ、どこか切ない。そんな桜に日本人は昔から想いを寄せてきた。
親父は3年ほど前から誤嚥により肺炎を繰り返し3年ほど前から入院している。新型コロナウィルスの影響で病院の面会は週に1度で面会時間は10分、面会できる人数は3人までと厳しく制限され、今もその制限は解除されていない。
先週の土曜の夜、風呂から上がり冷えたビールを飲み鍋をつつこうと箸を伸ばすと、携帯電話が鳴った。電話の相手は親父が入院している病院の院長からだった。
「息子さんですか?」
「はい。こんな時間にどうされました?」
「お父さんの容体が良くないので電話しました。数日前に肺炎になり熱を出して危篤に近い状態で、持っても明日くらいまででしょう。今から面会に来られますか?」
「えっ!直ぐに行きます。面会時間は今日も10分なんですか?」
「容体が容体だけにもう少し長く面会されても良いですよ」
「わかりました」
電話を切りお袋を連れ直ぐに病院に向かった。病室に入ると、親父は静かに目を閉じており胸には心電図のパッドが貼られ、酸素吸入器と点滴が施されている。最近は面会に出掛けても親父は眠っていることが多く声を掛けても殆ど反応がなかった。親父は昼と夜が逆転しているそうで、夕方に声を掛けると言葉を返してくれることがあると看護婦さんは言う。
僕が大きな声で親父に声を掛けると、親父は目を大きく開け僕の言葉がまるで信じられないような顔をした。
「親父!先生から電話があって親父が危ないって言うけん、飛んで来たばい!」
「は~!?」(マジや?)
「親父!今年の誕生日まで頑張るってお袋と約束しとるんやろ?もう少し頑張らんね!」
「あ~!」(分かっとる!)
側にいた看護婦さんが会話を聞き驚いてこう言った。
「強い叱咤激励ですね!」
明日も面会が可能か看護婦さんに尋ねると、状態の悪い患者さんの面会については院長先生から許可が出ているそうで、明日もまた見舞いに来ることを親父に伝え病室を出た。
「親父は厳格で約束ば守る人やけん、もう少し頑張るよ!」
家に戻り食事を取りながらお袋にこう言うと、お袋は腹を括ったようで静かに頷いた。
親父の命の花は桜の花のように直ぐには散らず、今も持ちこたえて咲いている。