梅雨の中休みで晴れの日が続いているが、高温多湿で鬱陶しい。例年、福岡では梅雨間近の7月中旬に大雨が降り洪水や土砂崩れなど災害が発生する。今年、大きな災害が起こらなければ良いが…。もし災害が起きても何としても命だけは守らなければならない。
南米のコロンビアのジャングルで小型飛行機が墜落し、墜落から40日後の先週、子供4人が奇跡的に生還した。事故は5月1日に起き墜落した小型飛行機(セスナ)には13歳、9歳、4歳、生後11ヵ月の兄弟と、彼らの母親など7人が搭乗していた。事故後、現場に駆け付けた捜索隊に母親を含む大人の遺体が発見されたが、同乗していた子供たちは見つからず捜索活動が続けられていた。そして墜落から約40日後の6月9日に墜落現場から3.5キロほど離れた地点で、行方不明だった4人の兄弟が発見され救出された。しかしジャガーや毒ヘビなど多くの危険動物が生息しているコロンビアのジャングルで、一体、子供たちはどうやって生き延びたのだろうか?
この4人の兄弟はアマゾンの先住民族の子供で、兄弟の中で大きな役割を果たしたのが13歳の長女で、彼女は祖母から教わった知識をもとに、ジャングルの中で食べられる物や飲み水を探し、危険な植物や動物を避け下の兄弟達を守ったという。13歳の長女は日頃から森で果物などを見付け兄弟に与え世話をしており、ジャングルの中を歩く高い技術も身につけていたそうだ。アマゾンの先住民の子供は幼い頃から食料の探し方や森で生き延びるためのスキルを親から学び習得しており、救助隊は捜索中に棒や枝で作られた仮設のシェルターやハサミなどを発見したという。彼らは手に入る物を最大限に利用し生き延びた。
ところで僕が子供の頃、毎年、盆と正月に祖父母の家に親族が集まり交流していた。小学3年の盆、祖父母の家に泊まり、翌朝、叔父と数人の従弟で近くの山に登ることになった。翌朝、登山口に着くと山頂まで従弟と競争して走ることになり、皆で走り出した。従弟の中で一番年長だった僕は先頭を走り後ろには誰も付いて来ない。調子に乗ってさらに走っていると僕は山の中で迷ってしまった。
何とか無事に下山すると見知らぬ住宅地に出た。住宅地から遠くに走る電車が見えるので線路を目指し線路伝いに歩くと、祖父母の住む隣町の駅に着いた。僕はお金を一銭も持っておらず、電話も電車に乗ることもできなかったので仕方なく祖父母の住む隣の駅まで歩き、登山開始から約7時間後、無事に祖父母の家に戻った。
その頃、警察には僕の捜索願が出されており、警察官と親戚、それに祖父母の近所の人達が山で僕を捜索していた。僕の無事を確認すると、警察無線で捜索しているメンバーに連絡を取り、皆、山から戻って来た。そして戻ってきた親父に僕はこっ酷く叱られた。
僕がジャングルで遭難すれば果たして生還できるだろうか?無理だろうな…。
早いもので親父が亡くなって1カ月になる。親父の死亡に関する諸手続で慌しい日が続いていたが、徐々に落ち着きを取り戻してきたのでスポーツクラブに出掛けた。久しぶりに筋トレを行うと翌日は体のあちこちが筋肉痛だった。
ところで僕の通っているスポーツクラブでは新型コロナウィルスの感染予防のためマスク着用が義務付けられていたが、新型コロナウィルスが5類感染症に移行したことを受け、マスクの着用は任意になった。任意になった当初は、多くの人が今まで通りマスクを着用しトレーニングをしていたが、最近では誰もマスクを着用しておらず、マスクを着用しているのは僕一人になった。本当に新型コロナウィルスの流行は終息し、今まで通りの日常が戻ったのだろうか…。
今週、自宅から程近い中学校で生徒の欠席者が相次いだため、中学校は急遽、休校を決めた。この中学校は今月3日に体育祭が行われ、それをきっかけに新型コロナウィルスのクラスター感染が発生したと言う。そして驚くことに全校生徒のうち2割に上る約500人の生徒が新型コロナウィルスの陽性の疑いがあると言う。
またこの時期では珍しくインフルエンザも流行しているようで、厚生労働省によると全国の定点医療機関から報告されたインフルエンザの患者数は1医療機関あたり1.62人で、流行の目安である1人を超えていると言う。さらに、インフルエンザにより休校や学級閉鎖した学校・幼稚園の数は全国に300カ所を超え、新型コロナウィルスの流行前と比べるとはるかに大きい数字になっている。
新型コロナウィルスの再流行とインフルエンザの流行が同時に加速すると、学校や医療機関でクラスター感染が発生する確率が高まるそうだ。インフルエンザは感染者を調べ、隔離し、接触者に対してはタミフルなどを投与することで抑え込むことができるが、新型コロナウィルスは発症前から感染力が強いため発症していない人も感染していることが多く抑え込むことは難しい。また新型コロナウィルスにはインフルエンザに有効なタミフルのような安価でエビデンスの高い有効薬はまだ開発されていない。
高齢のお袋と同居しているので、僕は新型コロナウィルスやインフルエンザの感染に気を遣い、外出しても屋内では必ずマスクを着用しアルコール消毒も徹底している。今、身を潜めている新型コロナウィルスは今後さらに変異し再び猛威を振るうかもしれない。真の新型コロナウィルスの終息は5類化以降、流行の波を何度も乗り越えて実現できるのではないだろうか。 皆さん、新型コロナウィルスやインフルエンザにはくれぐれも気を付けて!
「お父さん、随分と頬がこけてみっともなかったね。普通、死んだら頬がこけんように綿を入れるんよ」
通夜の後、自宅に戻るとお袋が言う。
「そんなら、明日、葬儀の前に頬に綿ば入れてやったら良いやん。葬儀屋さんは納棺師を手配して親父の顔を整えるか聞きよったばってん、お袋は断ったやん」
「そうやね…。お父さんが葬式は質素で良かと言いよったけん…。明日、葬式の前に綿を持って行ってお父さんの頬に入れてやろう」
翌日、葬儀の前に親父のこけた頬にお袋は綿を入れ始めた。
「あら、死後硬直で口が開かんね。お父さん少し口を開けて下さ~い!」
そう言いながら、お袋は手で親父の口を開けようとするが、なかなか口は開かない。そこで僕も手伝うと、かろうじて1センチほど親父の口は開いた。お袋は開いた口に綿を入れ割りばしで左右の頬に綿を押し込むが頬も硬く上手く膨らない。葬儀の時間が迫りお袋は焦っている様子。お袋が親父の頬に強引に綿を押し込んでいくので、親父の顔は少しずつ別人のように。そこに葬儀社の方がやって来た。
「どうされました?」
「お父さんの頬があまりにこけとるけん、頬に綿ば詰めて膨らませるけど上手くいかんとよ。あんたやってくれんね?」
「えっ、私がやるんですか?私、納棺師さんじゃないんですけど…」
「葬儀屋さんやけん、私より上手いやろ」
「わ、わかりました。時間が無いので急ぎましょう。」
仕方なく葬儀社の方は手袋をして親父の口に綿を入れ、割りばしで頬の奥まで綿を押し込んでいく。「あ~でもない、こ~でもない」と、お袋が横から口を出すので葬儀屋さんも悪戦苦闘する始末。葬儀の時間が迫り親父の兄弟も教会に到着したので、作業を終え葬儀を始めた。
親父は4年近く嚥下障害で飲み食いができなかったので、棺桶に親父の好物だったあんぱんを沢山入れ、好物だった飴玉を口に咥えさせた。葬儀の終盤、親父の好きだった美空ひばりに歌「川の流れのように」を流し親父を火葬場に送った。そして親父は飴玉を咥え沢山のあんぱんと一緒に火葬された。
「あんぱんに飴玉。親父は喜んどるやろうか?頬が膨らんだけん、まるであんぱんと飴玉をたくさん頬張っとうみたいやったな…」
火葬が終わり僕がそう言うと、お袋が言った。
「喜んどるよ。ずっと何も食べれんやったけん」
親父は天国で喉を詰まらせているかもしれない…。