What's NEW
ARCHIVE
2013年08月02日

あまりに暑いので涼しいことを考えようと頭を巡らしてみた。

以前、サハリンで資源開発が進んでいるから視察に行こうと、親しい取引先の方に誘われ真冬のサハリンへ行ったことがある。サハリンでの初日の出来事。

サハリン市内のホテルに到着した時間が夜遅かったので、ホテル内のレストランで直ぐに夕飯を取ることになった。ロシアでは度数の高いウォッカがお酒の定番。乾杯のビールの後はウォッカを飲むことに。(ちなみにロシア料理は非常に美味しく口に合った)
ウォッカはチビチビ飲む酒ではなく、冷えたウォッカを小さなショットグラスに注ぎ、一気に胃袋に流し込むものである。飲んだ瞬間胃袋が熱くなる。1時間半程経ってレストランが閉店する時間になったので、飲み足りない気持ちを抑え明日に備えて各自部屋に戻り休むことになった。
しかし大の酒好きの取引先の方が、レストランでウォッカのボトルを2本買ってきたので、その方の部屋で飲むことに。5人のメンバーはウォッカで大いに盛り上がった。そこに部屋の電話が鳴った。電話はフロントからで、他の部屋のお客様から騒がしいと苦情があったので、静かにしてくれとのことだった。

「そもそもここサハリンは日本の領土だったんだ!畜生!ロシア人め!」
「日本人の意地を見せてやれ!」(何の意地?)

結局ホテルを出て屋外で飲むことになり、各自部屋に戻りグラスを片手にホテルを飛び出しホテル横の空き地へ。その空き地にあるコンクリートの階段に腰を下ろしウォッカを飲み直すことに。外気はマイナス20度。地面は凍っており真っ暗な夜空からはきめ細かいパウダースノーが降っていた。しかしウォッカをたらふく飲んでいるので体は温い。そして誰かが大声で「サハリンの雪見酒もいいなー」と言い出す始末。

ボトルが残り僅かになった頃、メンバーの一人が寒さで震えだした。彼だけパジャマ姿だった。他のメンバーはグラスを部屋に取りに戻った時に、ダウンジャケットなどをしっかり着込んで出てきていた。そして体を温めるためにパジャマ姿のメンバーが最後のウォッカを一気に飲み干し、ホテルに戻って寝ることになった。ホテルに戻る道でメンバーの一人が滑って派手に転んだ。(次の日、腕が大きく腫れていた…)
部屋に戻ると午前3時になっていた。結局一人一本ずつウォッカのボトルを開けたことになる。

翌朝、サハリン市内の観光に出かける集合時間にメンバー2人の姿は無かった…。

思い出すだけで体が余計に熱くなった…。

written by マックス

2013年07月26日

以前、東京出張に出かけた際、帰りの飛行機の時間までと念を押し、お取引先の方と昼からお酒を飲むことに。1軒だけのはずが2軒目へ。2軒目では誰が言い出したのか「イッキ」が始まった。(言い出すのは決まってそのお取引先の方)しかもウィスキーの水割りはどんどん濃くなり、いつの間にかストレートに。
いよいよ飛行機の時間が迫りお取引先の方がタクシーで羽田空港まで送ってくれた。飛行機の搭乗手続きのカウンターにふらふらで向かうと、航空会社の地上係員に搭乗拒否をされた。理由は泥酔しているお客様はお乗せできないとのこと。
しかたなく他の航空会社の搭乗カウンターへ向かった。(羽田は航空会社でターミナルが異なるので、またタクシーに飛び乗ることになる)そして、その航空会社でも搭乗拒否。
仕方なく酔いが醒めるまでお取引先の方と待合席で眠る始末。(かなり淫らな格好で…)
結局、また違う航空会社の最終便で帰ることに。

先日、日帰り出張で東京に出かけその取引先の方と会うことになった。
先方は電話で済む話なのにと恐縮していた。ランチにビールが運ばれてきた。ビールを飲む前に仕事の話を始め、グラスに注がれたビールの泡が消える前に仕事の話は終わった。そして乾杯!その一杯のビールが火を付けた。その後は以前のように盛り上がり、結局、昼間から3軒もハシゴ。飛行機の便を変更する羽目に。一瞬、「今日も搭乗拒否されるのでは?」そう頭によぎった。

電話であれば直ぐに終わる仕事の話。しかし大切な仕事は例え遠方でも出かけて行って膝を付け合わして話をすることにしている。確かに時間や費用はかかる。しかしその空間でしか感じることのできない温度や質感を肌で感じることができる。そして何よりも共有された時間があり、まさにライブだ。この共有された時間が信頼関係を築いていく。通信が発達した今の時代でも音楽やスポーツなどのライブには多くの人が出掛ける。録画された映像では伝わらない温度や質感を肌で感じることができるからだろう。

空港の中を全速で走り、変更した飛行機にギリギリ間に合うことができた。こんなことなら泊まりにすれば良かった…。

written by ゴンザレス

2013年07月19日

あるお得意先がカンボジアの貧しい村に小学校を建設し、その村の子供たちを支援している。お得意に誘われ遥々カンボジアへ。支援している小学校のある村(シェムリアップ)に入る前に、視察のためにプノンペンに立ち寄った。

カンボジアは一年中常夏の国。しかしこの時期は雨季と聞いていたので雨具まで用意していたが、夕方に集中的にスコールがあるだけで、それ以外は雲を探すのが難しいほどの青空が広がっている。カンボジアは日本の夏とは全く異なり、とにかく日差しが強く皮膚がジリジリと焼ける感じがする。日陰に入ると逆に涼しく直ぐに汗が引く。

プノンペンはカンボジアの首都だが驚くほど汚い町だった。町には屋台のような露店が溢れ、その露店が排水した水で水溜りがいたるところにあり、驚くほどゴミが散らかっている。道路はバイクと車が犇めき合って縦横無尽に走っており、よく事故らないものだと感心してしまう。そして多くの人が日陰で寝ていたり、気だるそうに会話していたり…全く働いている様子が無い。カンボジアは急激に発展していると聞いていたが、いたるところに建設途中のビルやマンションがあり、建設予算が足りなかったとか、施主が変わったとかで、建設途中で凍結しているものが目立つ。
「何なんだこの国は…きっと暑さでおかしくなっているんだろうなー」(人はみんな大らかで優しいらしい…)

日本には四季がある。四季があることで衣食住が変化する。季節が変化してもより快適に過ごすために住居や衣服を変え、そして季節と共に変化する味覚を楽しむ。季節があることで自然に感性が鍛えられたのだろう。また日本は地震、台風、洪水など自然災害も頻繁に起こっている。その辛い経験から生きる術を学び知恵をつけてきた。自然が厳しいことで同じ轍を踏まないように工夫してきたのである。

ポルポト政権時に教育者などの知識人も多く殺されており、教育を受ける土壌が無かったことは理解できる。しかし、もう少し工夫して真剣に生きることができないのだろうか?
カンボジアに詳しい人に尋ねてみると、カンボジアの人は極楽浄土信じているらしい。
「あの世は極楽で幸せだから今は仕方ないと…」

言葉を返せなかった…。

written by マックス

What's NEW
ARCHIVE