来週の月曜日は「敬老の日」で3連休だ。そもそも「敬老の日」は9月15日に固定の祝日だったが、祝日法の改正によりハッピーマンデー制度が適用され、「敬老の日」は9月の第3月曜日に変更された。ハッピーマンデー制度とは、祝日の一部を月曜に移動させ土日を含め3連休とし、余暇活動を拡大促進させることが目的で、「敬老の日」以外にも、「成人の日」、「スポーツの日(体育の日)」、「海の日」が、固定から月曜日に変更になった。
しかし「敬老の日」の日付が変更になることへの反対も根強く、9月15日は「老人の日」として残し、9月15日から9月21日までを「老人週間」とし、お年寄りの社会参加や健康長寿社会の促進など、さまざまな啓発活動が行われている。「敬老の日」がお年寄りを祝う日であるのに対し、「老人の日」はお年寄り自身が元気でいきいきと暮らすことを促す日としている。では「敬老の日」がどのような経緯で始まったのだろうか?
「敬老の日」の制定は諸説あるようで、まず兵庫県のある村で9月15日は「としよりの日」とし、地域でお年寄りを敬う日として定着しており、それが全国へと広がり「敬老の日」の制定に繋がった説や、聖徳太子が生活困窮者や身寄りのない人を収容するための施設「悲田院(ひでんいん)」を9月15日建立し、その施設が孤児院や老人ホームの役割を担っていたことが起因している説。そして岐阜県の「養老の滝」で、貧しいきこりが滝の岩間で汲んだ湧水を老いた父に飲ませたところ、若々しく元気になった話が都に伝わり、当時の天皇が9月15日にこの地の水を「老を養う若返りの水」と称え、年号を「養老」と改元したことによる説などがある。
「敬老の日」に高齢のお袋を温泉に連れて行き祝う予定だったが、まだ暑い日が続いているので、もう少し涼しくなってから連れて行くことになった。誕生日をあと数回迎えると90歳になるお袋は徐々に足腰が弱くなり、一人で外出することもままならない。週に3日ほど僕が送迎し病院へ通院しているが、それ以外はあまり外出をせず家で眠っていることが多くなった。また認知症が徐々に進行しているのか、日にちや曜日が分からないこともあり、先日も朝起きてきたお袋が僕にこう尋ねる。
「おはよう。私は朝ごはん食べたかね?」
「お袋は今起きてきたやんか」
「食べてないんかね…?」
「夢の中で朝飯ば食べたっちゃないと?」
9月15日の「老人の日」はお年寄り自身が元気でいきいきと暮らすことを促す日としているが、高齢のお年寄りがいきいきと暮らすことができるのだろうか?週に半分以上も病院に出掛け、何種類もの薬を毎日服用し、長生きすることは本当に幸せなのだろうか?