日増しに気温は下がり今年も残すところ1カ月となった。福岡の大通りに並ぶ銀杏はどれも黄色に染まり、天気の良い日は銀杏の葉が黄金に輝く。もう直ぐ、銀杏の葉は全て落ちてしまい、寒い冬が訪れる。
2週間前、風呂で転び足の股関節の骨にひびが入ったお袋を病院に送っていると、街路樹の銀杏を見てお袋が言う。
「うわ~、綺麗やね~。昔、お父さんと一緒に紅葉狩り行ったことを思い出すね~。とにかく綺麗やった~」
「お袋の足も少し落ち着いてきたけん、葉が落ちてしまう前に紅葉狩りに行こうか?」
「いいね~。行こう、行こう!」
冬が近づき紅葉は待ってくれないので、少し歩けるようになったお袋を連れて紅葉の名所に出掛けた。平日だったが見物客で混雑し、駐車場から紅葉スポットまで距離もあったので、疲れたお袋は「疲れた~。もう紅葉狩りには行かん」と機嫌が優れない。
ところで、紅葉見物を「紅葉狩り」と言う。日本人はまるで狩猟民族のように、やたらと「狩り」という言葉を使う。「潮干狩り」、「苺狩り」、「ブドウ狩り」、「梨狩り」、「キノコ狩り」、「ホタル狩り」、「桜狩り」、「紅葉(もみじ)狩り」…。
動詞の「狩る」には「花や草木などを探し観賞する」という意味がある。「狩り」が草花などを観賞する意味で使われるようになったのは諸説あるようだが、平安時代の貴族と関係しているそうだ。当時の貴族は歩くことを下品と考えていたようで、外出する時は牛車(ぎっしゃ)に乗って出掛けていた。しかし当時は今のように道路が整備されておらず、牛車に登って細く険しい山道を登り紅葉を見に出掛けることはできなかった。そこで紅葉見物で山野に歩いて出掛けることを「狩り」に見立てるようになった。当時、歩いて狩猟に出掛けることは極当然のことで下品ではなかったそうだ。
後に、貴族の間だけで楽しまれていた「紅葉狩り」が庶民に広がり、紅葉を楽しむ文化は今も受け継がれている。しかし貴族はどうしてこうもプライドが高いのだろうか。素直に「紅葉が奇麗なので歩いて山に出掛けよう」そう言えば良いものを…。
「紅葉狩り」の帰りに疲れて機嫌の悪いお袋と天ぷらを食べると、お袋は「美味しい、美味しい」と機嫌が良くなった。まさに「花より団子」だ。今週末、福岡の紅葉は見頃でピークを迎える。少し足を延ばして「紅葉狩り」に出掛けて短かった秋を満喫してみては?