僕はベランダで過ごす時間が好きで、1年を通して朝はベランダでコーヒーを飲み、夜はベランダで酒を飲む。9月は毎日のように気温が30℃を超えていたが、10月に入ると、突然、季節は秋へと進みベランダは少し肌寒く感じる。もう少し寒くなると、お気に入りのストーブがベランダに登場する。
今週、親父の遺骨を納骨するために教会に出掛けた。親父は生前「俺は無宗教だから、死んだ後は葬式も質素で遺骨は適当に埋葬してくれ」と言っていたが、お袋がクリスチャンなので親父の葬儀を行った教会に遺骨を納骨することに。納骨の日は教会で讃美歌を歌い牧師さんの法話を受けた。その法話の中で「マタイによる福音書7章13~14節」が紹介された。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない」
その法話を聴いて親父が昔よく言っていた言葉を思い出した。
「簡単で楽な方を選ぶな!」
納骨を終え牧師さんの法話をネットで調べると、イエスは「狭い門から入りなさい」と弟子に語り、「狭き門」は命に通じる門だと説いたと記されていた。門と道は「人の生き方」として語られ、イエスは生き生きとした豊かな人生を送るには、あえて「狭い門」から入り、「細い道」を進むことが必要だと説いている。また聖書の創世記13章1~13節には、アブラハムと甥のロトの話が記され、アブラハムは農耕に適さない丘陵地帯で暮らし、ロトは繁栄の低地で暮らしたという。アブラハムが狭き門を選び、ロトは多くの人が通る広い門を選んだと言える。そして、ロトが暮らした低地は、著しく道徳的に退廃した地域で、後に神が火をもって滅ぼしたと伝わる。
滅びに通じる門と道は広く大勢の人が安易にそちらを選ぶ。広い門と道を進むことは楽で大勢の人がいるので孤独を感じることもないが、その中には低俗で道徳心の無い人も多い。逆に命に通じる門と道は狭く困難で、そこを進む人は少なく孤独を感じる。しかし困難な道を進むことで自分を高め、さらに成長させることができる。イエスは周囲に流されず、自分に示された正しい道を信じて、しっかりと歩むように促しているように思える。親父の言っていた言葉が今になって身に染みた。
「狭い門?広い門?」あなたはどちらを選びますか?