立春を過ぎ、冬と春のせめぎ合いが続いている。もうすぐ皆が心待ちにしている新緑のまぶしい春が訪れ、多くの若者が新たな道へと踏み出していく。
今週、パラリンピックの車いすテニス男子シングルスで3つの金メダルを獲得するなど、数々の偉業を成し遂げた国枝慎吾選手が引退会見を行った。
国枝選手は9歳の時、不幸なことに脊髄腫瘍で下半身麻痺になり車いす生活を送ることになった。もともと彼は少年野球チームに所属するなど活発で明るい少年だったが、車いすの生活になったことで当時の落ち込みようは相当なものだったという。車いすの生活から2年が経った頃、母が趣味でやっていたテニスに国枝選手を半ば強引に連れ出し、彼は初めて車いすテニスを体験する。それ以降、彼は車いすテニスにのめり込み、2009年4月に日本パラアスリートとして初めてプロに転向した。
その後、彼は並々ならぬ努力を重ね、2021年に開催されたパラリンピックで東京大会を筆頭に、シングルスで3つの金メダルを獲得。さらに昨年7月、ウインブルドンでシングルス優勝を果たし、車いすテニス男子シングルスで初となる生涯ゴールデンスラム(四大大会とパラリンピックを制覇)を達成する偉業を成し遂げた。
国枝選手は「オレは最強だ!」と書いたテープをラケットに貼っていることで知られるが、引退会見で彼は自身のメンタルの弱さを語った。メンタルの弱かった国枝選手はメンタルトレーニングを世界ランキング1位になる前から続け、「俺は最強だ」と常に言葉に出しながら練習を行ったことで、練習の質が向上したという。そして記者会見で彼はこうも語った。
「成績やタイトルでやり残したことはない。本当にやりきったなという現役生活を送れたことは最高の幸せだったと思う」
五体満足な体を持っていても多くの人は偉業を成し遂げることは難しい。しかし国枝選手のように障害という大きな困難を乗り越え偉業を成し遂げる人もいる。彼のように偉業を成し遂げることはできなくても、彼の言った「最高に幸せだった」と、最後に言える人生は素晴らしい。
もうすぐ春。「最高に幸せだった」と最期に言えるよう、新たなことに挑戦する季節だ。