部屋の窓から向かいの家に植えられた2本の大きな銀杏の木が望め、毎年、この時期に2本の銀杏の木は全身を黄金の葉で纏い周囲に癒しと感動を与えていた。しかし家を建て替えるようで、家は解体され2本の銀杏の木も「勤労感謝の日」に切り倒されてしまった。以前は「勤労感謝の日」は五穀豊穣を祝い感謝する「新嘗祭の日」だったので、わざわざこの日に切り倒さなくても良いものを…。
ところで日本の祝日には、ハッピーマンデー制度により土曜、日曜、月曜を3連休にすることを目的に、定められた日から移動する祝日と、定められた日から移動しない祝日がある。移動する祝日は社会情勢などから祝日になったもので、「海の日」や「スポーツの日」などがある。逆に移動しない祝日は日本固有の特別な意味を持つ祝日で「勤労感謝の日」は移動しない祝日だ。
「勤労感謝の日」が祝日として制定されたのは1948年で、祝日に関する法律の条文には「勤労をたっとび(尊び)、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」とある。この条文が示す通り、「勤労感謝の日」は働く人々の勤労に感謝する日だが、そもそも「勤労感謝の日」は、「新嘗祭」という祝祭が行われる日だった。
「新嘗祭」は五穀豊穣を祝う日本古来の風習で、日本書紀にも記述が見られる日本の伝統行事を行う日だ。元来は、収穫した農作物を皇祖や神々にお供えするという宮中行事が行われ、現在も11月23日になると天皇陛下が自ら新穀を神々に供え、その年に出来た農作物を召し上がるという習わしが続いている。しかし先の大戦で日本はアメリカに敗戦し、当時、日本を統治していたGHQは宮中行事と国民行事を切り離す必要があると考え、「新嘗祭」を「勤労感謝の日」に改め、宮中行事と切り離した祝日に定めた。
五穀豊穣を祝う日が、なぜ勤労を感謝し合う日に変更されたのか諸説あるが、アメリカの祝日が関係しているという。アメリカでは、11月の第4木曜日に感謝祭を催す「Thanks giving Day」があり、そこで9月の第1月曜日に定められていた「Labor Day」労働の日の概念を加えて、「Labor Thanksgiving Day」すなわち「勤労感謝の日」として制定されたという説が有力だ。
平成は天皇誕生日が12月23日だったので、その日が一年で最後の祝日だったが、令和になり天皇誕生日が移動したことで、11月23日の「勤労感謝の日」が一年で最後の祝日になった。「勤労感謝の日」が過ぎ、あと1カ月もするとクリスマスが訪れ年の瀬になる。
来年の秋に部屋の窓から黄金の葉を纏った2本の大きな銀杏の木を見ることができないとは、何とも寂しい。