親父は長期で入院しており老いたお袋一人で生活することが難しいので、昨年の夏から一緒に暮らしている。お袋は年齢とともに足腰が弱くなり短い距離も歩くことが難しくなってきた。また最近は特に物忘れが多くなり、今話していたことさえ直ぐに忘れてしまう。お袋の生活を観察すると、朝はゆっくり起き朝食にバナナを食べ、その後は決まって病院に出掛ける。病院は整形外科、内科、歯科、耳鼻科、眼科と月曜から金曜までほぼ埋まっている。病院から戻るとパンとお菓子で適当な昼食を済ませ、その後はソファーに横になりテレビを見ながらウトウトと昼寝をする。夕食を食べ終わるとまたソファーに座りテレビを見ながら眠ってしまう。刺激のない毎日を送っているお袋に僕は何か新しいことを始めるように勧めた。
「お袋!病院に行った後はゴロゴロせんで、少し刺激のある生活せんとボケてもっと弱るばい!」
「もうボケとる!とにかく毎日、眠いとよ」
「俺は体が鈍ってきたけん4月からスポーツジムに通うように申し込んできたばい。お袋も春になったし4月から何か新しいことでも始めたら?」
「そうやね~…」
それから僕は毎日お袋に4月から新しいことにチャレンジするようにしつこく勧めた。するとついにお袋は重い腰を上げ、百貨店の文化教室で習い事を始めると言い出し、出掛けて行った。戻って来たお袋に何か良い教室があったか尋ねると、
「前から気になっとった教室に申し込んできた」
「ほー。そりゃ、良かった。何ば始めると?」
「歌ば習うことにした」
「歌を習うとね?どんな歌ね?」
「ゴスペルたい」
「…ゴスペル?…マジで?」
「そうたい。あーやって皆で手拍子しながら歌ったら楽しそうやろうが」
「…」
「練習の時に歌ば録音せんといかんけん、小さい録音機ば買わんといかん。電気屋に連れて行ってくれんね」
長く眠っていたお袋がついに目を覚ました。まさかお袋がゴスペルを始めるとは…。ひょっとすると体力もつき元気になるかもしれない。しかし毎日、家で大声を出して練習を始めると思うと恐ろしい。