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ファミリーヒストリー
2019年12月06日

冬の風物詩である福岡国際マラソンが行われ、福岡の最低気温は連日10度を下回り冬の訪れを肌で感じるようになった。

先週末、肺炎で入院している親父を親父の兄弟(僕の叔父叔母)が見舞いに来てくれたので、昼食を一緒に取ることに。叔父と叔母と会うのは久しぶりだったので、随分と賑やかな昼食になった。その席で叔父と叔母がNHKの番組「ファミリーヒストリー」のように曽祖父の頃からのうちの歴史を話してくれた。

僕の祖先は元々関東出身で曽祖父は神奈川で暮らしており、中山道の宿場町で宿場を営んでいたが、実際はやくざで博打の元締めだったらしく国定忠治とも縁があったと言う。(ホンマかいな?)
その後、曽祖父は博打で大きな借金をつくり命を狙われたが、曾祖母が啖呵を切って丸く収めたそうだ。(まるで極道の妻やんか)
そして曽祖父はやくざから足を洗い朝鮮に渡り果樹園を経営し、成功して大きな財産を築いたが、日本が敗戦したことでその全ての財産は朝鮮人に没収されたそうだ。もし日本が敗戦していなければ、うちは今でも大金持ちだったと叔父は笑っていた。そして曽祖父が亡くなり、曽祖父の遺体を見ると17か所も刺された傷があったと言う。(まるで串刺しやんか。それだけ刺されると怖いもんないやろうなぁ)

曽祖父がやくざだったので家にはいつも柄の悪い連中が出入りしており、祖父はやくざになりたくないと15歳で家を飛び出し、国鉄に入社し祖母と出会い結婚した。その後、祖父は転勤で朝鮮に渡りそこで終戦を迎えた。しかし終戦間際にロシア軍が朝鮮に侵攻してきたそうで、捕まるとロシアに抑留されると聞き、家族全員、命からがら38度線を越え、引き揚げ船に乗り込み九州の門司に辿り着いた。そして祖父母は朝鮮から引き上げ時に身寄りのない子を引き取り、その子と実の子4人、それに祖父母を合わせ7人家族で中津に移り祖父は国鉄職員に復帰し定年まで務めた。

僕の親父は子供の頃から文武両道で、中津の町から初めて東大に進学できる子供がいると評判になったそうだが、逆に叔父は曽祖父の血を引いたのか、随分グレていたそうでギャンブル三昧の毎日だったそうだ。昔の名残か、80歳になる叔父は今も毎日のように夫婦でパチンコに出掛けているそうだ(ギャンブル依存症は抜けれんな~笑)
戦争後で5人も子供がおり生活は楽ではなかったそうで、親父は兄弟のために大学進学を諦め、高校卒業後は新聞社に就職した。当時、日活で俳優の募集があったそうで、叔父がこっそり親父の写真を日活に送ると、何と親父は俳優に合格したそうだ。後にそのことを知った親父は勝手なことをした叔父に随分怒ったそうだ。
新聞社に就職した親父は激務とストレスからか胃潰瘍になり入院することに。そこで看護婦で働いていたお袋と出会い結婚し、目出度く僕が生まれた。(おぎゃー!!)
叔父と叔母の話す「ファミリーヒストリー」は江戸時代から続くもので、歴史が大きく動いていた激動の時代を皆、逞しく生きたようだ。

今年も残り僅かだが親父は新年を迎えようと病と闘っている。親父の人生が来年に繋がり、親父の歴史の幕が下りないことを祈っている。

written by 彦之丞


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