終戦記念日が近づくと多くのメディアが悲惨な先の大戦を伝える。20世紀は戦争の世紀で幾度と無く悲惨な戦争を繰り返し多くの人間が命を落とした。
日本という国は四方を海に囲まれている。海に囲まれていることで日本が守られているわけではなく、逆に他国が隣接していないことでどこからでも敵が侵攻することが可能だ。そして致命的なことにこの国は資源がほとんど無い。そのため海を超え外に出て祖国日本を守り資源を確保しなければならなかった。
初盆だったので親戚が集まり祖母を偲んだ。そして終戦当時の話になった。当時、僕の父の家族も満州で生活しており、そこで終戦を迎えた。そして日本本土に帰る引揚船に乗るため朝鮮半島を縦断することに。しかし終戦直前にロシアも参戦し満州や朝鮮半島に攻め込んできた。終戦後にアメリカとロシアの占領地を分けるために分割占領ラインである38度戦が引かれ、朝鮮半島は二分された。
38度線の北側はロシア軍が警備しており、ロシア軍に捕まるとロシア軍の捕虜としてシベリアなどで強制労働を強いられることになる。そこで夜の暗がりにまぎれながら何日もかけて38度線を越えたそうだ。父と父の兄弟もまだ子供で、末っ子は生まれて間もなかったそうだ。食料も乏しく着の身着のままで、祖父と祖母が子供たちを抱きかかえての決死の逃亡だった。そして終戦から約1年が経った頃、人で溢れかえる満杯の引揚船で何とか北九州市の門司に辿り着いたそうだ。
もし子供だった父に何かあれば僕が生を受けることは無かったのだろう…。
休みが続くと仕事をすることが億劫になる。僕だけだろうか…。
僕のデスクの前にある窓から日の丸の旗が見える。今日も青空に下はためいている。
休み明けのだらけた体に渇を入れた。
「よしっ!頑張るか!」
written by ベルハルト