ゴールデンウィークが終わり日常生活に戻った5月8日の朝、朝食を済ませベランダでコーヒーを飲んでいると電話が鳴った。電話は親父が入院している病院からだった。
「もしもし、お父さんの容態が良くないので急いでこちらにお越しください」
「わかりました。急いで向かいます」
まだ眠っているお袋を起こし、親父の入院する病院へ急いだ。
前日、お袋と親父の見舞いに出掛けた際、親父は反応が無く顎を使って下顎呼吸をしていたので、“そう長くないだろう”とお袋が言った矢先のことだった。
親父の部屋に入ると、そこには院長先生と二人の看護婦さんが立っており、僕等に気付くと院長先生はゆっくりと首を横に振った。
「お父さんは先ほど亡くなりました。間に合わなくてごめんなさい」
親父が息を引き取って10分ほど経過していたが、親父の聴力と脳もまだ活動していることを信じ、親父の耳元で声を掛けた。
「親父!本当にありがとう!ゆっくり休んでくれ!」
親父の命は風前の灯火だったので覚悟はできていたが、お袋が親父の耳元で涙を流しながら声を掛ける姿に涙が滲んだ。
「お父さん…お父さん…今までよく頑張ったね…。お父さん…今まで本当にありがとう…」
親父は後年、パーキンソン病を発症し誤嚥により肺炎を繰り返し、3年半の間、口から食事を摂ることができず経管栄養で入院生活を送った。今年の3月末に再び肺炎を起こし最期は心不全で息を引き取った。親父が食事や水分を口から摂取できず経管栄養で生き長らえることに家族の間で議論は尽きなかったが、親父はお袋と次の誕生日までは生きると約束していたようで、お袋は今年の誕生日までは親父を生かしたいと譲らなかった。親父の誕生日は5月29日だったが、誕生日までもう少しのところで親父は力尽きた。
葬儀は親父の希望により家族と親父の兄弟のみの質素なもので、クリスチャンのお袋がお世話になっている教会で通夜と葬儀を行った。葬儀の日は雲ひとつない五月晴れで、親父の棺桶には沢山の花が広げられその花の香りが心地良く香った。
翌日、親父の遺品を片付けていると僕と妹宛てに書かれた遺書を見つけた。遺書の中にこう書かれていた。“お前たちは俺の宝物だ。いつまでも兄弟仲良くするように”
「親父、ありがとう。天国でゆっくりと旨い酒を飲んでくれ!」