先週末に発生したKDDI(au)の大規模通信障害は3日間続き、様々なところに影響が及び多くの人が不便で不安な時間を過ごした。
auの携帯電話が繋がらないことで公衆電話には多くの人が列を作り、コンサート会場ではスマホに表示させる電子チケットが表示されず、会場では急遽、フリーWi-Fiスポットを設置する対応に追われた。また救急車を呼ぶために119番にauの携帯電話から電話をしても繋がらず、自宅の固定電話はKDDIの回線だったため、固定電話でも繋がらなかったと言う。混乱は交通事故現場でも起きた。事故発生後にauの携帯電話で警察に電話するが全く繋がらず、事故現場近くの公衆電話から警察に電話したと言う。警察によるとKDDI(au)の通信障害の発生から110番への連絡件数は激減し、公衆電話からの通報が増加したと言う。さらに医療現場では自宅療養している新型コロナ感染者へ健康観察の定期連絡が取れず、医療関係者や保健所の職員、それに感染者に不安が広がった。
今の時代は通信インフラが整備され利用者も通信インフラに依存しているため、通信障害が発生すると社会は大きく混乱し、その影響は想像もしないところまで波及する。
僕が若い頃、携帯電話は存在しなかったが不便に感じたことはなかった。その頃、電話番号はもちろん多くのことを記憶しなければならず、今よりも随分記憶力が高かったように思える。今の時代はボタンひとつで電話番号を携帯電話に登録することができ、何でも携帯電話のカメラを使って記録する時代なので昔に比べて記憶力が低下した。(僕の記憶力低下は年齢によるところが大きいのかもしれない…)
また携帯電話やパソコンでは入力した平仮名やローマ字を漢字に変換し、複数の漢字の中から文字を選択するので、いざペンなどで文字を書こうとすると、漢字が直ぐに頭に浮かんでこないことがある。便利になると逆に失うものも多くある。
年に一日くらいは携帯電話を利用できない日を設けても良いのではないだろうか。そうすることで携帯電話の便利さを改めて理解することができるし、携帯電話から解放され再発見することがあるのかもしれない。今回のKDDI(au)の通信障害で災難に見舞われた人も多くいるが、逆に再発見や新発見があった人もいるのではないだろうか。
今週末は先代の愛犬Q太郎の3度目の命日だ。携帯電話やパソコンには触れず、Q太郎を偲ぶことにする。