数年前から老眼で文字が見えづらくなっていたが、加齢による老化現象を素直に受け入れることができず、老眼鏡を購入することを拒んでいた。しかし老眼がさらに進み仕事に支障をきたすので、今年の始めに老眼鏡を買った。また最近、風呂上りに冷えたビールを一気に飲むと噎せることがある。これは加齢による誤嚥なのだろうか…。
若い頃、自分に「老い」が訪れることを想像したことはなかったが、年齢を重ねると「老い」の具体的な現象が少しずつ現れ、確実に老いていることを認めざるを得なくなった。老眼以外に自らの「老い」について考えてみると、最近は就寝も起床もやたらと早くなり、テレビを見ているとテレビに向かって話し掛けることもしばしば。また歩く時に手を後ろに組み、立ち上がる時には「よいしょ」と言ってしまう…。
以前、入院している親父が看護婦さんに介助され用を足していたので、親父に恥ずかしくないか尋ねると、
「もう慣れたよ」
「へ~、慣れるったい?俺は嫌やな~」
「お前も慣れるよ。お前も直ぐ俺のようになるよ。ハハハハ…」
「明日は我が身やな。恐ろしい…」
「老い」は誰にも必ず訪れ逃れることはできない。そして悲しいことに「老い」は身体的にさまざまな制約を課していく。最近、やたらと「人生100年」と耳にするが、僕は長生きしたいとは思っていないが、やり残したことが多くて老いて後悔することだけはごめんだ。
僕は「死ぬまでにやりたいこと」をリストにしており、新型コロナウィルスが収まればそのリストを少しずつ実行しようと考えている。
「愛犬を連れて車で日本全国を旅して周る」
「極寒の北欧でオーロラを見る」
「アフリカで気球に乗り上空から移動するヌ―の大群を見る」
「モナコのホテルのバルコニーで酒を飲みながらF1を観戦する」
「スカイダイビングをやる」…
僕は「老い」を少しでも遠ざけ「死ぬまでにやりたいこと」を実行するため、ジムで体を鍛えている。