ついこの間までおせちを摘まんで雑煮を食べていたが、あっと言う間に1月も半分が過ぎ、これから一段と寒さが厳しくなる時期だが、今年は暖冬で北海道や東北では雪が少なくスキー場は頭を抱えていると言う。冬好きな僕にとっては何とも悲しい話だ。
世界では地球温暖化を懸念する声が高まり、若者を中心に温暖化を食い止めようとする動きが広がっている。今、地球規模で起きている気候に目を向けると温暖化が進行しているように感じるが、ひょっとすると地球温暖化を唱えることで誰かが環境ビジネスなどで儲かろうとしているのではないかと多少勘ぐってしまう…。
生活が便利で豊かになっていくと、逆に地球に悪影響を及ぼしてしまうので、もう少し不便な生活でも良いのではないだろうか。しかし一度手に入れた便利で豊かな生活を手放すことはできるのだろうか…。
僕が子供の頃は今のように生活は豊かではなく特に冬場は大変だった。当時は灯油ストーブと電気ストーブが主流で、部屋全体を暖めるには随分と時間が掛りストーブの前から離れることができず、ストーブの前で服も着替えていた。当時は加湿器など必要なく灯油のストーブの上にやかんを置き、やかんからうっすらと出る蒸気で部屋の空気は潤っていた。僕が小学校に入ってしばらくするとエアコンが我が家に取り付けられた。しかし当時はエアコンが高額だったため家族の集まるリビングにだけに取り付けられた。僕はエアコンから出る温風に驚いたことを今でも覚えている。
トイレのウォシュレットなんてこの世にまだ存在せず、冬場は便座が冷たかったので便座にカバーを付けていたが、便座カバーを付けていてもお尻は冷たかった。
風呂も自動でお湯を張ることはできず、一旦、風呂に水を貯め風呂を沸かすためのガス湯沸かし器でお湯を沸かしたが、お湯が沸くまで随分と時間が掛かかった。しかも風呂のガスの湯沸かし器にはタイマーはなく風呂を沸かす時間を気にしておかないと、いつの間にか熱湯になってしまう。風呂当番だった僕は何度も風呂を沸騰させ親父に怒鳴られた。
当然、その時代には台所や洗面所の蛇口からお湯は出なかったので、寒い冬の朝に顔を洗う時には強い意志と勇気が必要だった。そして外出時には白金カイロと呼ばれるカイロを使用し毎日ベンジンを入れ発熱するカイロを身に付け学校に通った。今の時代は多くの物が使い捨ての時代でカイロも使い捨てだ。
当時の生活は今ほど便利で豊かではなく冬はとにかく寒かった。しかし今の時代よりも世の中には温もりが溢れていたように思える。
便利や豊かさを追求するだけではなく地球と共存していかなければならないが、今の便利で豊かな生活から、あの頃の生活に逆戻りすることは果たしてできるのだろうか?
written by キムジー