毎年、カンボジアに出かけているが、国全体に変化の兆しが伺える。僕らが到着するシェムリアップ国際空港は建物が増築され、ショッピングフロアも充実してきており、街の中の建物も少しずつ垢抜けてきているように感じる。僕等が支援する小学校の近くに住む村人の服装も少しずつ小綺麗になってきており、住居も少しずつ改築されている。本当に支援する必要があるのだろうかと考えてしまう。
カンボジアの土は赤い粘土で水はけが悪いため土地は痩せており、小学校を支援するよりも土壌改良や作物の栽培の援助が必要に思える。作物の栽培、収穫が進めば彼らの意識改革に繋がるだろう。しかし民間企業やNGOなどの支援には限度があるので、日本政府がODAという大きな枠組みでカンボジアに支援をするべきではないだろうか。
今でもカンボジアはインフラの整備は遅れ、主な産業も無いのだが、不思議なことに何故か英語が浸透している。英語を話せない日本人が情けなくなってしまう。英語は日本語と比べ遥かに簡単なはずなのに、何故、日本人は英語を話せないのだろうか。毎年カンボジアに出掛けて英語を身につけないといけないと痛感してしまう。引退するまでに英語を身につけないと、世界を旅して周る事がおっくうになるだろう。
カンボジア人の日本語ガイドにどうやって日本語が話せるようになったのか尋ねると、口々に独学で日本語を習得したと言う。彼らは英語も独学で勉強し話すことができる。彼らはより豊かな生活のために必死で勉強しているようだ。
今の日本はカンボジアより遥かに発展しているが、日本人は英語が話せないという大きなリスクを背負っている。このままだと将来カンボジアに追い越されてしまうかもしれない。日本の政府は国を挙げて全ての日本人に英語を身につける政策を行わなければならないのではないだろうか。早速、独学で英語を身につけよう。
written by 彦之丞